ストーカーキューピット

4. うっかり攫われました

6

「おっそーい」

「……待ってろなんて言った覚えはない」

 深夜0時過ぎ。
 新幹線とタクシーを乗り継いで、やっと自宅の前に着いた逢坂は、ギャルのように高い声を出した神楽坂に、ふ、と口元を綻ばせ、ポケットから鍵を取り出した。

「話があったんだよ」

「だろうな」

 でなきゃ、こんな時間まで、神楽坂が逢坂を待っているはずがない。

「いい話を、期待してるんだがな」

「まぁ、誰かにとってはいい話かもしれないけど、おまえにとっちゃ、どうだろうな」

 わからん、と欠伸をしながら、神楽坂はエントランスをくぐる逢坂のあとに続いていく。
 手にはコンビニで仕入れてきたであろう缶ビールをぶら下げた袋を持っているため、歩く度にそれがぶつかって、深夜にはうるさい。

「貴島が異動になった」

 唐突に神楽坂が口を開き、逢坂は神楽坂を向いた。

「……冗談だろ?」

「貴島にとっちゃ、いい話だよ。昇進しての異動だから」

 けどなぁ、と空いている手で頭を掻きながら、神楽坂はため息を吐いた。
 狭いエレベーターに乗り込み、上昇していく箱の中で、正直、と神楽坂が話し始めるのを聞きながら、逢坂は小さく舌打ちをする。

「回せる気がしない。おまえがいなくなって、及川さんは長期の風邪で、貴島が異動。残された連中に皺寄せが来るのは、目に見えてる」

 なんだよ、長期の風邪って、と思うが、それが今日、汐が休んだ理由であり、これからの欠勤理由である。

 婚約者を名乗る男性から電話があった、とかのんが不安そうに、淳太に報告に来たらしい。
 それ以上不安を煽るわけにもいかないので、かのんには汐が行方知れずだとは敢えて言わなかった。

「もしかしたら、松澤さんも、いなくなりそうだし」

「なにかあったのか?」

 まさか、と思い青くなるが、違う違う、と軽く言われた。

「貴島について行きそうだなって、松澤さん」

「ああ」

 そういう意味か、と納得する。

「確かに、なんだかんだ、松澤は貴島に惚れてるみたいだしな」

 エレベーターを降り、玄関のカギをピッと開けながら言えば、だろ? と同意を求めるように言ってくるので、頷く。

「さっさとまとまればいいんだろうけどな。面倒くさい」

「そう言うなよ」

 はは、と声を上げて笑いながら、逢坂と二人、家の玄関をくぐる。
 神楽坂はソファの前のテーブルに買い物袋を置くと、ネクタイを外しながらソファに腰を下ろした。

「もらうぞ」

 早々とネクタイを取った逢坂が、袋の中から1本ビールを取ると、躊躇うことなくプルタブを起こし、ぐ、と勢いよく喉に流し込む。

 ふー、とひと息吐いたところで、逢坂はテーブル前のカーペットに座った。

「貴島、どこに行くんだ?」

「北海道」

「北海道に支社なんてあったか?」

 疑問を持ち眉を寄せた逢坂に、ないよ、と軽く答え、神楽坂は袋の中からつまみを取り出す。

「作るんだって、新しく。そこの支社長代理」

「随分と出世したもんだな」

 そうだねぇ、と適当に相槌を打ちながら、ピーナッツの袋を開けて、それを摘まむと、でもさぁ、と笑った。

「怪しいよねぇ」

 入社して4年経つとはいえ、まだまだ上に立てる力量は淳太にはない。
 淳太には悪いが、代理とはいえ、支社長の代わりが務まるとは思えないのだが。

「おまえも、そう思うか?」

「それは、まぁ」

 他に人員がいないならまだしも、本社で課長だった逢坂が、一般社員として九州支社に異動になった。
 経験も積んでいる逢坂を、性急ではあるが九州から北海道へ異動させることだってできないわけではない。

 そもそも、逢坂が本社から九州へ異動になったことだって、意味のわからないものであるというのに。

「貴島より経験も年齢も上の人間はいっぱいいる。その中で、敢えて貴島をっていうのは」

「やはり、専務が?」

「一枚噛んでそうだよね」

 またアイツか、と声に出したつもりはないが、思わず、漏れてしまっていたかもしれない。

 良は、汐に近づく人間をすべて排除したいのだろう。
 逢坂を九州へ異動させ、今度は淳太を北海道へ。やることが無茶苦茶だ。

 でもさぁ、と神楽坂はいつの間にか2本目となるビールのプルタブに手をかけ、少し声を落とした。

「うちの社長も、眞山専務に弱みでも握られてるのかな? こんなにあっさり、異動させるなんて」

 2課が回らなくなることくらい、わかりそうなもんなのに。神楽坂の言葉に、そうなんだよ、と逢坂も頷く。

「潰れるんじゃないか、うちの会社」

「それが目的とか?」

 違うだろう、と冷静に、逢坂は返す。

「前に眞山……専務と話したときに感じたんだが、及川が欲しくて欲しくて堪らないって顔に書いてあった」

 さすがに呼び捨てるのは躊躇われたらしく、役職をつけた逢坂に、神楽坂は、ふ、と口元を緩ませた。

「及川さんのことは、悪かった」

「おまえのせいじゃない」

「でも、頼まれてたから」

 ごめん、と小さく言えば、逢坂は黙ったまま、飲みかけのビールを口に運んだ。

「もっと、怒るかと思ってた」

「はらわた煮えくり返ってる」

 けど、お前にじゃない。そう言って自虐的に笑い、タバコを手に取ると、ふー、と大きく息を吐き出す。

「今日一日、及川のことが気になって、仕事が手につかなかった。ミスして上司に注意されたのなんて、初めてだ」

 気恥ずかしそうな言葉に、神楽坂は一瞬、目を大きくして、次の瞬間には、ははっ、と吹き出すように笑う。

「女の子に翻弄されてる逢坂なんて、逢坂じゃないね」

「俺もそう思う」

 だが仕方がない。笑われるのを覚悟の上で、ふん、と拗ねたように言った逢坂が尚更おかしくて、神楽坂は一層大きく口を開けて、白い歯を見せた。

「まぁ、近くにいなかったから、時間をおけて冷静にもなれた。本社勤務のままだったら、きっと会社を休んで捜索してただろうけどな」

 だから遠方にいて、よかったんじゃないか、と逢坂は結ぶ。

 あの堅物の逢坂にここまで言わせるなんて、本当、どれだけ汐に惚れてるんだよ、と思いながら、神楽坂は、微笑ましくもあった。
 義理の母親への恋慕なんて、不毛でしかない恋をしてきた逢坂を知っている神楽坂にしてみれば、なにをしてでも、汐への想いを成就してもらいたいという親心がある。

 明日は土曜で会社も休みだし、朝一で汐の捜索を開始しよう、と口を開こうとした神楽坂の胸ポケットが、携帯の着信を知らせてくるので、神楽坂は、悪い、と逢坂に告げ、立ち上がって通話ボタンを押した。

『こんな時間に、悪いね』

「いえ、大丈夫です」

 深夜2時。ほろ酔い気分の友人からだったら迷うことなく電話を切っていたかもしれないが、相手は部長である上奥だったため、神楽坂はほんのり回っていたアルコールを飛ばそうと、ベランダへ歩みを進めた。

『神楽坂くんに言ってもいいのか、迷ってたんだけど。うーん、やっぱり、やめたほうがいいのかなぁ』

「はぁ」

 実はね、と煮え切らない上奥の言葉の続きに、神楽坂は目を大きく見開いた。