ストーカーキューピット

2. 週末は有意義に過ごします

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 駐車場に入ると、店に設置されている換気扇の匂いが車内まで届いてくるようで、ほんのりと肉の焼かれた香ばしい空気が汐を包んだ。

「あー、お腹空いた!」

 大きく声を出すと、くすり、と口元を綻ばせて、逢坂が汐の頭を撫でる。
 行くか、という言葉に、はいっ、と大きく返事をして、汐たちは店内へと向かった。

「いらっしゃいませー」

 従業員に案内され、席に着こうとすると、どうにも見知った顔を発見し、あれ? と汐は思わず二度見する。

「淳太?」

「……げっ」

 名前を呼ばれ、顔を上げた淳太は、汐の姿を見て、心底嫌そうに声を出した。そんな淳太の態度に、何よ、それ、とムッとした表情で返したが、すぐにいつもの様子に戻る。

「一人? ……じゃないよね、それ」

 テーブルに用意されている、淳太と、もう一人分の食器を見て、汐は淳太が誰かと来ていることを確信し、邪魔をしないように案内された隣のテーブルに腰を下ろすと、正面から、またも見知った顔が歩いてきた。

「絃里ちゃん」
「うしおセンパイ」

 絃里も汐と同じタイミングで汐に気づいたらしく、驚いて名前を呼ぶと、絃里は手に持っていたサラダボールを淳太の座っている同じテーブルに置いた。

「絃里ちゃん、淳太と来たの? ……っていうか、その格好、昨日と一緒?」

「違います、違います。本当に違います。勘違いしないでください、本当に。本当に違うんです」

 必死に否定しながら、絃里は淳太の正面に座り、それより、と自分から話題を変えるように話を切り出した。

「うしおセンパイ、いつから逢坂さんと付き合ってたんです? 私、知らなかったから、ビックリしちゃいました」

「え?」

 絃里に言われ、思わず、正面に座ってメニューに目を通している逢坂に視線を移して、慌てて、違う違う、と首を横に振った。

「つ、付き合ってない!」

「……」

 え? と一呼吸置いて、淳太と絃里が目を丸くする。

「付き合って、ない?」

 驚いた表情のまま、口を開いたのは淳太だった。

「逢坂さんには、ちょっと今、お世話になってるだけで、付き合ってるとか、そんなんじゃないからっ」

 焦ったように言うと、おい、とひんやりした声が逢坂から届き、思わず身を竦めて、はい、と返事をする。

「このランチメニューでいいか?」

「え? あ、はい」

「飲み物は?」

「えっと、オレンジジュースで」

 了解、と確認して、テーブルの上に設置されている呼び出しボタンを押すと、すぐに来た従業員に同じメニューを淡々と注文し、ポケットからタバコを取り出した。

「いいか?」

 どうぞ、と汐が言ったのを確認し、タバコに火を点けると、逢坂さん、と淳太が身を乗り出してきて汐の隣に座った。

「及川と、付き合ってないんですか?」

「俺は、一言も付き合ってるなんて言ってない」

 煙を燻らせながら、しれっと言われ、淳太は怒りに手を震わせる。

 昨日、失恋したと思って、あんなにショックを受けたのは、一体何だったんだ、と逢坂を罵りたくなるが、いくらプライベートとはいえ、上司にそんなことを言うわけにもいかず、静かに俯き、それでも汐がフリーだったという事実に、内心、喜ばずにはいられなくて、口元を綻ばせ。
 そうしてしまってから、はっと気づき、淳太は慌てて顔を上げて絃里を見た。

 絃里は取ってきたサラダを頬張りながら、視線に気づくと、何事もなかったように、にっこりと笑みを見せてきたのだが、今の淳太には、その笑みが、ぐさり、と胸に突き刺さるように痛んだ。
 お待たせしましたー、と空気を読んだのか読まないのか、従業員が、汐たちのテーブルへ肉を運んでくる。

 淳太は、テーブルに置かれた肉を見て、気まずそうに自分のテーブルへと戻った。

「……ごめん」

 何に対してなのか、よく理由はなかったけれど、絃里に言わなければならない気がして言ってみれば、案の定、何がですか? と冷たく返される。

「いや、夕べのことがあったのに、俺、及川がフリーってわかって、ちょっとほっとしたっていうか、でも、それを松澤さんがいる前であからさまにしすぎたなっていうか、その……」

「……」

 ストローで烏龍茶を口に運びながら、絃里は黙って淳太が汐に聞かれないようにコソコソ話すのを聞いていたが、煮え切らない感じの淳太にイラついたように、あのですね、と烏龍茶をテーブルに置いた。

「私、貴島さんと付き合いたいとか、そんなの、思ったことありませんから」

 気を遣うところ、間違ってますよ、と諭すように言われ、淳太は、でも、と反論したくなったが、冷え切った絃里の態度に、何を言うこともできずに黙っていると、隣のテーブルから、汐と逢坂の仲のよさそうな会話が耳に入ってきた。

「あっ。それ、私のお肉っ」

 逢坂が、ひょい、と口に運んだ肉を見て、汐が、きー、と声を上げると、逢坂が、ああ、と納得したように返す。

「肉? 腹のか?」

「ち、違いますよ! っていうか、そんなに、ついてませんっ」

 ぷんっ、と顔を背けると、嘘吐け、といつの間にか隣に座ってきた逢坂が、汐のお腹の肉を指で摘まんでくる。

「きゃー! セクハラっ」

「うるさい」

 お腹を摘まんだまま、反対の手で、デコピンが飛んでくるのに、痛いっ、と声を上げると、おまえ、と呆れたように逢坂が口を開いた。

「これで、肉がついてないって言えるか?」

「だ、だから、『そんなに』って言いました! 『まったく』とは言ってませんっ」

 汐が、ぷい、と顔を背けると、まぁまぁ、と宥めるように、逢坂が箸で焼けたばかりの肉を汐の口元に近づけてきて、一瞬ためらったものの、ぱくり、とそれを口に含むと、すぐに幸せそうな表情になり。
 そんな汐の表情に、逢坂も口元を綻ばせて、美味いか? と汐の頭を軽く撫でてやると、汐は、ちらりと逢坂を見たあと、美味しいです、と嬉しそうに口を開いた。

「それはよかった」

 言いながら、逢坂が汐の隣から、正面の席へ戻っていくと、なんだか汐の隣が、ひんやりとするようで、少しだけ寂しさを残している。

「……本当に、付き合ってないんですか、それで?」

 呆れたような、冷ややかなような目を向けながら、絃里がぽつり呟くと、汐は、はっとその存在を思い出したように隣のテーブルに視線を移し、付き合ってないってば! と声を張り上げた。

「お世話になってるだけなの、本当に」

「それって、お前が逢坂さんのところに転がり込んでるってだけで、同棲してるってことじゃないのか?」

「どっ……!? だ、だから、違うんだって!」

 淳太の言葉に、真っ赤になりながら反論すると、さすがに声が大きいと感じたのか、うるさい、と正面の逢坂からデコピンが飛んでくる。
 痛いっ、と声を出して、慌てて口元を手で押さえながら、痛いです、と涙目で逢坂に訴えてみるも、そうか、と言うばかりで、話にならない。くぅ、と悔しさを滲ませると、絃里が、っていうかぁ、と口を開いた。

「そもそも、どうしてうしおセンパイは逢坂さんの家に居候してるんです? うしおセンパイ、一人暮らしでしたよね?」

 家に帰れない事情でもあるんですかぁ? と首を傾げられて、汐は言葉に詰まり、助けを求めるように逢坂に視線を送った。

「……空き巣だよ」

 一瞬悩んだものの、隠す必要もないか、と逢坂は、素直に口を割る。
 言っちゃうんだ、と驚いたものの、汐も、逢坂に委ねるような視線を送ってしまった手前、何も言わず、黙って俯いた。

「空き巣って、うしおセンパイの家に?」

 絃里が、ぎょっとしたように声を上げると、淳太も驚いたようで目を丸くしていた。

 まぁ、普通の反応だよな、とオレンジジュースに手を伸ばし、ちゅー、とストローからそれを吸い上げて、喉を潤すと、いつですか? と絃里が表情を曇らせながら聞いてきた。

「木曜日の朝、帰ってから気づいたから、水曜日の朝から木曜日の朝にかけて、かな」

 えーと、と考えながら言うと、絃里は汐の隣に移動してきて、ぎゅ、とその手を掴んだ。

「どうして言ってくれなかったんです、そんな大変なこと? 私、そんなに頼りにならないですか?」

「そうじゃないよっ」

 絃里の悲しげな表情に、汐は慌てて首を振る。

「迷惑、かけたくなくて」

 曇らせながら言えば、握られている手を更にきつく握られ、そんなの、と悔しさを滲ませた。

「うしおセンパイにかけられる迷惑なんて、むしろ喜びでしかないですよ。何かあったときに、あとから知らされる方がイヤです」

「……絃里ちゃん」

 絃里の優しさが、じーん、と身に染みる。
 迷惑が喜びなんて、一瞬、ん? と疑問に思ってしまうが、そんなことはどうでもいいと思えるくらい、誰にも相談できないと思っていたけれど、そうじゃなく、勝手に線を引っ張っていただけだったんだな、とひしひしと感じた。

「それで、家にいれなくて、逢坂さんの家に?」

「うん。逢坂さんが、気を遣ってくれて」

 なるほど、と絃里は納得したようで、握っていた汐の手を離し、もともと座っていた淳太の前へ戻ると、淳太が、じゃあさ、と汐に声をかけてくる。

「何も、逢坂さんの家に拘る必要、ないんだろ?」

「え? まぁ、それはそうだけど」

 ちらり、汐が正面の逢坂を伺ってみれば、逢坂は何も聞こえていないのか、聞こえていないフリをしているだけなのか、黙々と食事を進めていた。

 及川、といつになく真剣な淳太の汐を呼ぶ声が聞こえ、汐は、ん? と首を傾げながら、淳太を向いた。

「俺の家に、来れば?」

 唾を飲み込む音が、正面の絃里には聞こえたかもしれない、と思うほど、淳太はその一言を発するのに緊張していた。

 隠していた淳太の汐への気持ちに、気づかれるかもしれないけれど、それでも、家に居づらくて、寝泊りをさせてもらえるだけのところでいいのなら、逢坂の家にいる必要はないと思い、淳太は、清水の舞台から飛び降りるつもりでそう提案したのだが。

「……冗談じゃないわよ」

「うわっ」

 急に胸倉を掴まれて、ぐい、と正面に引き寄せられると、淳太は驚いて目を丸くした。

「貴島さんの部屋の、どこにうしおセンパイを寝かせるっていうんですか!? ベッドがソファ代わりの、1Kの部屋の、どこに!?」

 てっきり、文句を言われるのなら汐だろうと思っていた淳太は、絃里にそう凄まれて、面食らってしまった。

「いや、だけど、逢坂さん……」

「まさか、一緒に寝ようとか考えてませんよね? ほんっと、ありえない!」

 絃里は、ふんっ、と勢いよく淳太を離すと、どすん、と腰を下ろし、飲みかけの烏龍茶を一気に飲み干した。

「うしおセンパイっ」

「は、はいっ」

 急に名前を呼ばれ、思わず姿勢を正して、返事をする。

「間違っても、貴島さんの部屋には行かないでくださいね!?」

「う、うん……」

 絃里に圧倒されるように、汐は頷いた。
 その汐の頷きに、ようやく絃里は落ち着いたのか、皿に残っていた牛肉を鉄板に乗せ始める。

 何が怒りの引き金になったのかよくわからなかったけど、ビックリしたな、と落ち着きを取り戻した絃里を見てほっとした汐は、顔を正面に戻すと、逢坂が、じっとこちらを見ていた。

「な、なんですか?」

 どうでもいいんだが、と前置きをして、逢坂は口を開く。

「肉、なくなるぞ」

「えぇっ!? 逢坂さん、ひどいっ」

 汐たちを気にする風もなく淡々と食事を進めていた逢坂のせいで、二人前の肉が盛られていたはずの皿には、もう2切れしか残っておらず、慌てて手前に引き寄せ、私のですからねっ、と逢坂を睨んでみせると、それが面白かったのか、逢坂は、くっくっ、と身体を震わせて笑った。