しゅごキャラ!/確かなものひとつだけ(2)


「……ん」

 亜夢は、電話の音で目を覚ました。電話だよ、と言って隣に眠る幾斗を起こすが、低血圧のため、なかなか起きてくれない。

「ねぇ、電話鳴ってるってば」

「放っとけ」

「だめだよ。ちゃんと出なくちゃ」

「じゃ、あむが出て」

「出れるか!」

 ベッドから突き落とされ、ようやく幾斗は目を覚ます。落ちた時に打ったであろう腰を擦りながら、幾斗は部屋を出て、廊下にある固定電話の受話器を取った。

「もしもし」

 呼び出し音が止み、幾斗が電話に出たことがわかると、亜夢は慌てて床に落ちている服を拾い集めた。布団に包まっていて気づかなかったが、下着姿で寝ていたらしい。壁にかかっている時計を見れば、8時半を指そうとしているところだった。

(お、怒られる……!)

 いくら明日が休みとはいえ、学校帰りに家に連絡もせずにこんな時間まで遊んでいれば、きっと心配しているに違いない。だがこんな時間まで、あの心配性の両親が連絡もせずにいるだろうか。

 亜夢は急いで服を着て、鞄の中の携帯を開いた。

「……げ」

 画面は、真っ暗だった。充電切れである。

(急いで帰らなきゃ……!)

 すぐに帰り支度をし、亜夢は幾斗の部屋のドアノブに手をかける。すると、亜夢が開けるよりも先に、幾斗によってドアが開かれた。

「あむ、歌唄が……!」

「え?」

 血相を変えた幾斗の口から出てきたのは、信じられない言葉だった。

◇ ◇ ◇


「三条さん!」

 亜夢と幾斗は、電話を受けてからすぐタクシーに飛び乗って、歌唄が搬送されたという都内の病院に駆けつけた。手術室の前のソファに、悠と、彼に肩を抱かれたゆかりが座っていた。

「歌唄は?」

 はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、幾斗がゆかりに聞いた。ゆかりは泣きじゃくっているため、言葉が出てこない。代わって、悠が状況を説明してくれた。

「背中を、ナイフで一突き、だって。結構、深く刺さってたみたいでね。難航してるみたいだよ、手術」

「……そんな」

 胸の前で手を組み、亜夢は手術室を見る。タクシーの中で、幾斗から歌唄が刺されたことは聞いていたが、どうにも信じられない。
 昨日、テレビの中にいたのに。テレビの中で、歌っていたのに。それなのに今は、声を出すこともできないなんて。

「日奈森さん」

 悠が、申し訳なさそうに亜夢を見る。

「ごめんね。幾斗くんと一緒にいるとは思わなかったから。君は、もう帰った方がいい。ご両親も心配するし。家まで送るから」

「嫌だよ! 歌唄が苦しんでるのに……。帰れないよっ」

 亜夢の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。歌唄がこんな状態なのに、帰れない。帰りたくない。

「二階堂さん」

 亜夢の肩を抱きながら、幾斗が悠を見る。

「もう少しだけ、お願いします。ちゃんと、送って行きますから」

 まっすぐな目で、幾斗はそう言う。仕方ないな、と頭をぼりぼりと掻きながら、悠は背中を向けた。

「君の家には、僕から連絡しとくから。あんまり、ご両親に心配かけちゃダメだよ」

「ありがとう、先生!」

 これで、何も気にすることなく、歌唄の側にいてあげられる。大切な、歌唄の。歌唄の、大切な……。

「そうだ、空海!」

 思い出したように、亜夢は幾斗を見る。

「空海に、連絡しないと……!」

◇ ◇ ◇


 亜夢と幾斗は、病院のすぐ近くにある公園で、空海を待っていた。
 ブランコに座る亜夢の前に立ち、幾斗はそっと亜夢を引き寄せた。亜夢の頭を抱くその手は、わずかではあるが、震えていた。

「大丈夫だよ」

 幾斗の顔を見て、にっこりと亜夢は微笑む。

「歌唄は、こんなことで死んだりしないよ」

「……ああ、そうだな」

 亜夢の手を握り、幾斗は屈んで亜夢の額に自分の額をくっつけて、目を瞑る。亜夢の存在が、幾斗には救いだった。亜夢がいなかったら、きっとこんなに落ち着いてなんていられなかったかもしれない。歌唄が大変な時に不謹慎ではあるが、亜夢がいてくれてよかった、と心底思う。

「日奈森!」

 腰かけていたブランコから降り、亜夢は走り寄る空海に近づいた。

「歌唄が刺されたって、どういうことだよ!? なんで俺に最初に連絡しねーんだよっ!?」

「ご、ごめ……」

 いきなり怒鳴られて、亜夢は泣きそうな顔になる。だが、すぐに空海は右手で自分の顔を覆い、悪い、と謝罪した。

「日奈森が悪いんじゃねぇんだ。悪ぃ」

 空海も、混乱しているのだろう。それで、どうしていいのかわからなくて。感情的になって、思わず怒鳴ってしまったのだろう。公園まで来る途中、一体何を思っていたのだろうか。

「警察の話によると、どうやら犯人は、歌唄のストーカーだったらしいぜ。側に、指紋つきのナイフが落ちてたから、きっとそいつが犯人だろうって」

「ストーカー?」

 ――ちょっと最近、気になるのよね。

 つい先日、歌唄と会話した内容を思い出す。歌唄は、気にしていたのだ。ストーカーのことを。

「いつもは三条さんに送ってもらうんだけど、たまたま三条さんに用ができて、一人で帰ろうと駅に向かってる途中だったらしい」

 そんなの。電話すれば、飛んできたのに。一人で帰るなんて、どうしてそんな危険なことをしたのだろうか。

 ――いや。したくでも、できなかったんだ。空海が、気にしてないわけないって、気づいていたから。頼りたくても、頼れなかったんだ。空海に。

「くそ……っ」

「……空海」

 空海は拳を握り、歯を食い縛る。電話してあげればよかった、歌唄に。怒ってないって、言ってあげればよかった。つまらない意地なんか張らないで。

「……イクト」

 俯いたまま、空海は口を開いた。

「悪い。少しだけ、日奈森、貸して」

「え?」

 言い終わると同時に、空海の手が亜夢の背中に回された。

「……っ」

 きつく、きつく抱き締められる。窒息してしまいそうなほど、強く。

 空海の苛立ちが、亜夢に伝わる。歌唄を守ってやれなかった。そんな自分を、きっと空海は許せないのだろうと思う。

◇ ◇ ◇


 歌唄の手術は、7時間にも及んだ。傷は深かったものの、不幸中の幸いか、大事には至らないで済んだ。麻酔が切れたら目を覚ますだろう、と言われ、取り敢えずその場にいた全員が落ち着いた。

 手術室から歌唄が出てくると、空海は誰よりも早く走り寄り、きつく、手を握った。そのままタンカと共に歩み、一緒に病室に入る。歌唄がベッドに寝かされ、点滴などが準備された後、看護士達は病室を出て行った。

 ぴ、ぴ、と静かな病室に、歌唄の心拍数を指した機械音が響く。ベッドの近くに椅子を置き、空海は腰かけてから歌唄の手を取った。その手に何度もキスを贈り、歌唄を見つめる。

 やがて夜が明け、太陽は真上に昇り始めていた。時間の感覚がなくなりそうだ。

「……」

 空海が握り締めた歌唄の手が、わずかに動いた。目を大きくして、空海は歌唄の顔を見る。ゆっくりと、でも確実に、歌唄の目が開かれた。

「うた、う……?」

「……」

 空海の呼びかけに応じるように、歌唄は空海の方へ、徐に顔を向けた。

「……くぅ、かい」

「――歌唄……っ」

 安堵し、空海の目に思わず涙が浮かぶ。よかった。目を覚ましてくれて。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと、本当に不安だった。

「……ん、ね」

「え?」

 苦しそうに、歌唄が口を開く。

「ごめ……んね、くぅ、かい……。あたし、テレビ、で……」

「――…」

 こんなにつらい時に。それでも歌唄は、どうしても空海に謝りたかった。ずっとずっと、それが胸に引っかかっていた。

 目を潤ませ、歌唄は何度も、ごめんね、と謝る。

「……早く退院しないと、許さないからな」

 切なくなり、涙が出てきそうになったがそれを堪え、空海は笑顔でそう言った。

「早く退院して、イチャイチャしよう」

「……うん」

 空海の言葉に、歌唄も嬉しそうに頷いた。

 この人と一緒にいられることが幸せなんだ、とお互いが感じていた。いつでも側にいることが、また、側にいられることが何よりも幸せなんだ、と。お互いの存在がどれだけ大事なものだったのか、改めて思い知らされた。

「大好きだよ、歌唄」

 歌唄の手の甲にキスをして、空海は歌唄を見つめた。その光景に歌唄も幸せを感じて、空海を見つめ返したのだった。