しゅごキャラ!/確かなものひとつだけ(1)
「ストーカー?」
「ええ。ちょっと最近、気になるのよね」
ベッドの中で空海にもたれかかりながら、歌唄はそう言った。
話によると、どうやら最近、仕事中や行き帰りに妙な視線を感じるらしかった。おまけに、妙な無言電話や、執拗なラブレターまで来るらしい。
「アイドルだからな、歌唄は」
そっと抱き寄せ、空海は口を開く。
「放っとけって言いたいところだけど。何かあったら、すぐ俺に電話しろよ?」
空海の言葉に、ええ、と幸せそうに歌唄は頷いた。
空海の腕の中にいると、ほっとする。ストーカーの件で、最近ずっとイライラしていた。そのことを忘れさせるほど、落ち着く。
「空海」
歌唄が口を開くと、ん? と優しく歌唄の目を見つめる空海がいた。
「もう一回、しよ?」
空海の胸に顔を埋めながら歌唄が言うと、空海はそれに応えるように歌唄の唇にキスを落として、ベッドに押し倒した。
◇ ◇ ◇
「あれ?」
学校からの帰り道。亜夢は、一人公園のベンチに腰かけている空海を発見した。
「空海」
亜夢が声をかけると、空海は、ちらり、とこちらを見たが、またすぐに視線を他へ向けた。
「何? どうかした?」
「別に。何でもねぇよ」
心配そうに顔を覗き込むが、ふい、とかわされてしまう。機嫌が悪いのは、間違いなさそうだ。
「歌唄と待ち合わせ、とか?」
亜夢の言葉に、ぴく、と眉が動く。そうして亜夢を向き、にっこりと笑った。が、次の瞬間、凍るような視線を向けられる。
「知らねーよ、あんな奴」
「ケンカでもしたの?」
「してねーよ」
うーん、と悩み、亜夢は昨夜のテレビ番組に歌唄が出演していたのを思い出した。
「あ! もしかして、ミュージック・ミュージック?」
言ってから、亜夢は慌てて口を塞ぐ。地雷を踏んでしまった気がする。
昨夜、歌唄の出演していた生の歌番組であるミュージック・ミュージックで、歌唄の隣に座っていた某アイドル。収録中、時には歌唄の肩を抱き、そして『彼氏いるの?』の一言。
それだけでも空海には耐え難い苦痛だったのに、『いません』と答えられた空海にしてみたら、面白くないのも当然だろう。歌唄にとって空海の存在は、一体何なのだろう、と問いかけたくなる気持ちはわかる。
空海の機嫌が悪い理由は、それしか考えられない。
◇ ◇ ◇
「彼氏だろ」
机に向かって勉強している幾斗に空海の話をしたら、あっさりとそう言われてしまった。亜夢は、幾斗のベッドの上で抱き締めているクッションに、更に力を込める。
「でも、彼氏いませんって……」
「収録中だからな。彼氏がいるなんて、イメージダウンにしかならないし。三条さんがそう言えって言ったんじゃないか?」
「そう、なのかな」
「たぶんな」
幾斗は言いながらも手を休めようとはせず、亜夢を見ようともしない。そんな幾斗に、腹が立ってきた。
「歌唄の気持ちなら、よくわかるんだね」
「あ?」
皮肉たっぷりに、亜夢は言った。
「だってそうじゃん。歌唄のことなら何でもお見通しって感じ」
「あれ? もしかして、ヤキモチ?」
言われて、幾斗は手に持っていたシャープペンシルを置き、亜夢を向いた。
「ば、馬鹿じゃん!? そんなことあるわけ……っ」
幾斗は素早く亜夢に近づき、唇を塞いだ。亜夢がもがけばもがくほど、幾斗の舌が亜夢の口内を翻弄する。力が、入らない。
幾斗の唇が離れると、亜夢は力が抜けたようにその胸の中に崩れ落ちた。そんな亜夢を、幾斗が優しく抱き締める。
「……勉強ばっか、じゃん」
ぽつり、と亜夢が呟く。
「あたしがいるときくらい、手を休めてくれたっていいじゃん」
「そうだな。悪かった」
亜夢を抱き締めるその手に、幾斗は力を込める。幾斗が相手にしてくれなかったので、寂しかったのだろう。
「あむに触れると、理性がなくなるからな」
「……え?」
言葉に危険を感じ、亜夢は慌てて幾斗から離れたが、後ろは壁。幾斗との間に挟まれてしまっては、逃げ場がない。
そんな亜夢に、再度幾斗は唇を重ねる。観念したように、亜夢はそれを受け入れた。
◇ ◇ ◇
「本当にごめんねぇ、歌唄ぅ」
「気にしないで」
歌唄の前で手を合わせ、ゆかりはそう言った。ふぅ、とため息を吐いて、歌唄は微笑む。
「早くしないと、間に合わなくなるわよ、映画」
「あら、本当。急がなきゃ」
左腕の時計を見ながら、ゆかりは呟く。
「じゃ、気をつけて帰ってね」
「はいはい」
カツカツ、とパンプスを鳴らしながら、ゆかりは控え室を出て行った。いつもなら仕事帰りにゆかりに家まで送ってもらうのだが、今日は、急にデートの約束が入ったらしく、歌唄は電車で帰ることになったのだ。
時刻は7時半。電話をすれば、もしかしたら空海が出てきてくれるかもしれないが。
バッグから携帯を取り出し、歌唄は空海の番号を表示した。
「……」
通話ボタンを押すことができず、俯いて、歌唄は昨日の収録中の出来事を思い出す。真面目な男だから、歌唄の出演している番組は、ちゃんとチェックしているだろう。
『彼氏いるの?』と聞かれたとき、歌唄はゆかりの方を見た。ゆかりは、思い切り首を横に振っていた。
せっかく仕事が来るようになったのに、また仕事が来なくなるかもしれない。
空海なら、きっとわかってくれるはず――。そう思い、歌唄は『いません』と答えたのだが。
いざ、空海に連絡をしようと思うと、怖くてできなかった。怒っていたら。電話に出てくれなかったら。思うと限りがなくて、結局、未だに連絡できずにいる。
パタン、と携帯を閉じて、歌唄は控え室をあとにした。スタジオを出て、駅に向かって歩く。その間も、歌唄の頭の中は、空海のことでいっぱいだった。
「……?」
不意に気配を感じ、歌唄は後ろを向いた。誰もいないのだが、どうにも妙な感じがする。
恐ろしくなって、歌唄はバッグの中から携帯を取り出し、空海の番号を表示した、瞬間。
「――…っ!?」
背中に、焼けつくような痛みが走った。携帯は歌唄の手から滑り落ち、歌唄は力なくその場に倒れ込む。
歌唄の足元に、段々と血溜りができる。背中から流れ出る、歌唄の鮮血によって。
かしゃん、と音が聞こえて、歌唄は必死に後ろを向いた。
そこにいたのは、少し小太りの、眼鏡をかけた男だった。震えている手が血に塗れているのは、きっと歌唄を刺したときの返り血だろう。
「う、う、歌唄ちゃんが、悪いんだ……っ。ぼ、僕以外の男に、き、気安く、身体なんか触らせるから……!」
それだけ言い残し、男は去って行った。きっと、歌唄が気にしていたストーカーだろう。
消えかかる意識の中で、歌唄は携帯に手を伸ばした。
「……くぅ、か……ぃ」
会いたい。会って、謝りたい。
「……だぃ、……き、なの……に……」
こんなところで、死ねない。死にたくない。空海に会いたい。会いたい。会いたい。
神様、どうか。どうか、空海に、電話を――…。
「……」
無常にも、歌唄の伸ばした手が携帯に届くことはなかった。