しゅごキャラ!/踏み出した一歩(2)
「ん……」
亜夢が目を開けると、辺りはほんのり薄暗かった。
「――…っ」
徐に身体を起こすと、下腹部に異物感を感じた。隣に眠る幾斗の姿が目に入り、ようやく亜夢は、昨夜の情事を思い出す。顔を真っ赤に染め上げ、慌てて布団に潜った。
(そっか。あたし、夕べ……)
幾斗と結ばれたんだ、と思うと、妙に恥ずかしくなって、目の覚めていない幾斗から視線を逸らす。それから改めて、幾斗の顔を見た。
きれいな顔立ちをしている、と思う。黙っていれば、普通に格好いい。そんな当たり前のことを今更ながらに思い、亜夢は幾斗の頬に手を置いた。
「……大好き」
眠っている幾斗の唇に、そっと自分のそれを重ねる。
「!?」
唇を重ねた瞬間、幾斗の口の隙間から生温かいものが出てきて、亜夢の舌に絡まってきた。
息ができないほどの強烈な口づけのあと、幾斗はにっこり笑って亜夢を放す。
「お、起きてたの?」
「まぁな」
幾斗は起き上がり、大きな欠伸をしてから亜夢に視線を落とす。
「俺も大好きだぜ、亜夢のこと」
「――き、嫌いだもん!」
「好きって言ったクセに」
「今、嫌いになった!」
「はいはい」
くっくっ、と肩を揺らして笑いながら、幾斗は亜夢の頭を撫でる。やっと結ばれた、愛しい、亜夢の頭を。
目を凝らして、幾斗は部屋にかけてある時計に目をやった。5時を指しているのを確認すると、幾斗はまたベッドに転がって、亜夢を向く。
「無断外泊?」
「な!? ち、ちゃんと、歌唄の家に泊まるって、昨日連絡したもん!」
月詠家に来る前に、亜夢は道すがら、家に連絡を入れていたのだ。歌唄の家に泊まる、と言ったら、あっさりとOKを貰えた。
「7時くらいになったら、飯でも食いにどっか出かけるか?」
うん、と返事をして、亜夢は幾斗に身を委ねた。幾斗の心臓の音が聞こえる。なんて心地のいい音なのだろうか。
「あむ」
「何?」
「頼みがあるんだけど」
言いながら、幾斗は亜夢の上に覆い被さるように身体を動かす。
「もう1回」
「え!? ち、ちょ……、イク……!!」
亜夢の言葉を遮り、幾斗は亜夢の唇を塞いだ。亜夢にとって、長い1日が始まる。
「イクトの、嘘吐き……」
声を荒げて、亜夢は目の前で洋服に袖を通す幾斗を睨む。満足そうに、幾斗は微笑んでいる。
「ご飯食べに連れてってくれるって、言ったのに……」
珍しくボロボロ涙を流しながら、亜夢は幾斗に対して文句を言う。さすがにやりすぎたか、と内心少し反省しながら、幾斗は亜夢に近づいてそっと抱き寄せた。
「……お腹空いた」
「はいはい。飯食いに行こうな」
いつもと違う亜夢に、幾斗の心臓は舞い上がる。そうか。亜夢は疲れ過ぎると、こうなるのか。それがわかって、すごく楽しくなってくる。
時計の針は、10時を指している。昨日の夕方から、回数にして実に7回。幾斗は、亜夢との情事に及んだのだが。仮眠を取りながらではあったが、初めての夜に少しばかり無茶をさせ過ぎてしまった。
そのおかげで、こんなに甘えた亜夢の姿を見ることができたのだが。
「服、着れるか?」
「……ん」
鼻を啜りながら、幾斗が差し出した自分の服に手をかける。
「……」
服を着ようと、羽織っていた布団を捲ろうと思ったのだが。
「……後ろ向いてて」
幾斗の視線が気になり、どうにも着替えられない。
「全部見たのに?」
「いいから、あっち向けー!」
頬を赤らめて、亜夢は怒鳴る。さすがに、これ以上怒らせてしまうと、後が面倒かもしれない。
「終わったら出てこいよ」
幾斗は歩みを進め、ドアノブを回した。部屋に取り残された亜夢は、はぁ、と深くため息を吐いて、幾斗との情事を思い出す。
(……あたし、変態かも)
思い出して赤くなる自分に、そう思ってしまった。
リビングのテレビを点け、冷蔵庫から取り出した牛乳をラッパ飲みして、幾斗はソファに腰を下ろす。リモコンでチャンネルを弄るが、面白そうな番組はない。
「イクトー!!」
ふぅ、と息を吐いてテレビを消すと、突然、亜夢の叫び声が聞こえた。慌てて、幾斗は自分の部屋に戻る。
「あむ……!?」
部屋に入ると、相変わらず布団に身を包まらせた亜夢の姿がそこにあった。何かを訴えたそうな目だ。
「どうした?」
そっと歩み寄り、亜夢の側に膝をつく。
「……ない」
「あ?」
何かを呟かれたが、消え入りそうな声だったため何も聞こえない。もう一度、耳を澄まして聞いてみる。
「力が入んなくて、服、着れない……」
「……は?」
どうやら亜夢は、その場から立ち上がることもままならないらしい。その身を縮ませて、恥ずかしそうに俯いている。ぶっ、と吹き出せば、亜夢は怒ったように幾斗を睨んだ。
「だ、誰のせいで……!!」
「はいはい。悪かったって」
声を殺して笑いながら、幾斗はその場にうずくまる亜夢を抱きかかえ、ベッドに横たわらせる。そうしてベッドの傍らで優しく亜夢の頭を撫でてやれば、1分も経たない内に亜夢は夢の中へと旅立っていった。
規則的な寝息を立てる亜夢の額にキスを落とし、幾斗は弁当を買いに外へ出て行った。お腹を空かせた亜夢の嬉しそうな表情が、目に浮かぶ。
◇ ◇ ◇
「うー……」
ぼふ、とベッドに倒れ込みながら、亜夢は机の上を見る。明日の時間割も調べていないし、宿題も残っている。それなのに、身体がまったく動かない。全身が筋肉痛になったみたいに、言うことを聞いてくれない。
すぅ、と亜夢が夢の中へ入ろうとした瞬間、ベランダ側のカーテンが、ふわり、と風に靡いた。カーテンの裏から現れたのは、亜夢を筋肉痛にした張本人の幾斗だった。
「まだ8時前だぞ」
「うっさい」
枕に顔を押しつけて、素っ気なく亜夢は応える。相手をする元気も、今はない。幾斗はそんな亜夢を気にするふうもなく、亜夢のベッドに腰かけ、傍らに置いてある亜夢の携帯を手に取った。
何をするのか、と視線を向けるが、幾斗は背中を向けているため、何も見えない。数分後、幾斗は元あった場所に携帯を戻した。
「……あ」
亜夢は横になったまま、そっと携帯のストラップに手をやる。
「きれー……」
もともとついていたストラップの替わりに、チェーンに通った指輪がつけられていた。中心に、小さな宝石がついている。
「これ、本物?」
軽く幾斗を見上げ、亜夢は問う。
「まぁな」
「それって、高いんじゃないの?」
「……まぁ、それなりに」
幾斗はチェーンから指輪を外し、亜夢の右手の薬指にはめた。
「ブカブカなんですけど」
「お前、まだ子供だからな。大人になったら、ちょうどよくなるさ」
大人になったら。要するに、大人になっても、ずっと一緒にいられるということだ。何気ない言葉なのに、涙が出そうになるほど嬉しい。心が、幸せで満たされる。
「なんで急に、こんな物くれるの?」
「いらない?」
「いや、貰うけど」
取られそうな気がして、亜夢は咄嗟に手を隠した。優しく微笑み、亜夢の頭を撫でながら幾斗は口を開く。
「嬉しくて」
「……何が?」
幾斗の言葉に、亜夢は眉根を寄せる。
「あむが、俺を受け入れてくれたことが」
瞬間、亜夢の顔が耳まで真っ赤に染まる。情事の最中を、思い出してしまった。
「あれ? もしかして、思い出しちゃった?」
「うっさい、馬鹿猫!」
亜夢の表情を見て、にやにやと幾斗は嬉しそうに亜夢を見遣る。そうして亜夢の頬にキスを落として、ベランダに足を向けた。
「その指輪に入ってる石って、俺の誕生石なんだぜ。あむが俺に溺れてるって、いい証拠になるだろ?」
(あむ、が、俺、に……?)
幾斗の言葉が、引っかかる。その言い方は、亜夢が一方的に幾斗を好いているみたいで。
「じゃあな」
「ち、ちょっと待てー!!」
慌てて身体を起こしたが、既に幾斗の姿はそこにはなかった。相変わらず、逃げ足の速い奴である。
ふぅ、と息を吐いて、亜夢は薬指の指輪を見る。幾斗に溺れるのも悪くないかな、と思いながら、亜夢は幸せそうにベッドに身体を埋めた。