しゅごキャラ!/踏み出した一歩(1)
「あむ、ちゃんと避妊してる?」
とある昼下がり。亜夢は、歌唄とランチのために喫茶店の中にいた。唐突な歌唄からの質問に、亜夢は思わず口に含んでたオレンジジュースを噴き出しそうになるのを慌てて堪える。
「な、な、な……!?」
いきなり何の話だ、と聞き返したいのに、言葉にならない。ふぅ、と息を吐いて、歌唄は目の前にあるアイスティーを口に含んだ。
「で、どうなの?」
どうなの、と聞かれても。
残念ながら、未だに亜夢は幾斗とそういう行為に及んだことはない。
「し、してないよ……」
「そう。してないの」
「ち、違う。そのしてないじゃなくて……」
「え?」
顔を真っ赤に染め上げて、亜夢は勇気を振り絞って言葉にする。まさか、誰かにそのことを聞かれるなんて。夢にも思わなかった。
「……嘘でしょ?」
「……」
愕然とした面持ちで、歌唄は亜夢を見る。相談したいことがあったのに、この調子ではとても相談なんてできるはずがない。
「な、なんで急にそんなこと聞いてくるの?」
恥ずかしそうに俯きながら、上目遣いで亜夢は歌唄を見る。人差し指を口に当て、んー、と考えてから、歌唄は口を開いた。
「とりあえず、場所を変えましょう? ここは人目が気になるわ」
自分から切り出したくせに、と思ったが、亜夢は口にはしなかった。
◇ ◇ ◇
「い、イクト。お前、ちゃんと避妊してるか?」
空海からの問いに、思わず幾斗は目を丸くする。
「……は?」
「いや、わかってる。お前はしてるだろうと思う。でも俺にはタイミングが……。どうすればいいのか、わからないんだ」
「……」
要するに空海は、避妊具を着けるタイミングのことを聞きたいのだろう、と思う。幾斗も、当然経験者だろうという想定の上で。
せっかくの休日。亜夢と出かけようと思ったのに、あいにく、亜夢は歌唄との予定が入っているとのこと。仕方ないので、家で本を読み耽っていた。
すると、突然のインターホン。玄関先に立っていたのは、緊張した面持ちの空海だった。その顔つきから、何か話があるだろうことは予想できたのだが。まさか、こんな相談だったとは。
「……着けるタイミング?」
「そう、そうなんだよ!」
空海は幾斗に向かって指を突きつけ、声を荒げる。
「着けなきゃいけないのはわかってるんだけど、もたもたしてると萎えてくるし、かといって、素早く着ける技術はないし……」
そこでだ、と空海は幾斗の肩を掴み、真剣な面持ちで幾斗を見つめる。
「俺に、素早い着け方を教えてくれ!!」
◇ ◇ ◇
「避妊、してないの……?」
公園のブランコに座りながら、隣のブランコで揺れている歌唄に問う。軽く、歌唄は頷いた。
「本当は、避妊して欲しいの。でも、最中の一生懸命な空海を見てたら、言えなくて……」
「……でも」
「わかってる。今子供ができて困るのは、あたしだけじゃないわ。空海も、それは十分わかってるはずだもの」
「……」
切なく語る歌唄を見ていると、言葉がつまる。空海のことが大好きだというのが、よくわかる。
歌唄はブランコを漕ぐのを止めて、地に足を着ける。ブランコの周りに、子供たちが集まってきたからだ。
「行くわよ」
その身を翻し、華麗に歩く歌唄のあとを追う。歩き方一つを見ても、やっぱりアイドルなんだな、と改めて実感する。
「ねぇ、明日も休みでしょ? 今日、このまま家に泊まりに来ない?」
「え?」
「どうせ暇なんでしょ。決まりね」
亜夢の意見も聞かず、歌唄は話を進める。特に用事もなかったし、正直、友達の家に遊びに行くのは久しぶりだ。
後ろから走って、亜夢は歌唄の腕に自分の腕を絡ませた。
「しょうがないから、泊まってってあげるよ♪」
亜夢の言葉に、歌唄は一瞬目を丸くし、それから、ふふ、と笑顔を見せたのだった。
◇ ◇ ◇
「嫌だね」
「そう言うなって。頼むよ。な?」
ふぅ、と息を吐いて、幾斗はげんなりとした顔つきで空海を見る。
「俺、着けたことねーから。っていうか、まだ童貞だし」
「え?」
その言葉を、まるで信じられない、といった表情だ。
「な、なんで?」
幾斗は高校生だし、当然、亜夢ともそういうことはしていると思っていた。亜夢が相手でなくても、経験は積んでいるに違いない、と。
「あむが、怖がってるからな」
遠い目をして、幾斗は喋り出す。その瞳が、妙に艶っぽくて、空海は錯覚を起こしそうになる。
「大事にしたいんだ」
亜夢のことも、亜夢とも思い出も。亜夢が思い出したときに、よかった、と思えるように。
手を出して、亜夢が怖がって逃げ出されるのが怖い。亜夢がいなくなることが、本当に怖い。亜夢を、失いたくない。
幾斗が、亜夢を大切に想っていることが、痛いほどに伝わってくる。男なんだから、当然、幾斗は亜夢とそういう関係になりたいだろう。
だからといって、亜夢を怖がらせたくはない。亜夢を怖がらせるくらいなら、自分が我慢すればいいだけのことだ。亜夢を失うこと以上に怖いものなんて、何もない。
そういう幾斗の気持ちが伝わって、空海はそれ以上、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
「イクト、無理してると思うわよ」
月詠家までの道中、歌唄はそう話し出した。
「……うん。そんな気がする」
歌唄に言われるまでもなく、それは亜夢にもわかっていた。だけど、わかっていても、気持ちが追いつかない。幾斗のことを考えれば、申し訳ない、とすごく思う。でも、勇気が出ない。一歩を、踏み出せない。
「歌唄は怖くなかった?」
立ち止まり、亜夢は泣きそうな目で歌唄を見る。
「全然」
そんな亜夢に、歌唄は笑顔で答えた。
「幸せだったし、嬉しかった。あたしでもこんなに幸せな気持ちになれるんだって。あたしを幸せにしてくれる人がいるんだって、嬉しかった」
そう言う歌唄の表情は、本当に幸せに満ちていた。幾斗と結ばれたら、亜夢も歌唄のように幸せに満ち溢れることができるのだろうか。
「あむが怖いなら仕方ないけど。イクトは、あむの嫌がることはしないわよ、絶対」
「……うん」
歌唄の言葉が、亜夢の胸に響く。今なら、素直になれるかもしれない。怖く、ないかもしれない。ちゃんと、幾斗を受け止めることができるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「ただ……」
歌唄が玄関のドアを開けると、目の前に壁が立ち塞がっていて、思わずビックリした。
「お、歌唄。お帰り」
「空海?」
普通の反応で言われたので、歌唄もつられて、ただいま、と言葉が出てしまった。自分の家の玄関を開けて、何故に空海が一番最初に視界に入ってきたのだろう。
「日奈森も一緒じゃん」
「……ども」
少し気恥ずかしそうに、亜夢は軽く頭を下げる。歌唄とあんな話をした後で、空海を直視できない。
空海の後ろにいる幾斗の存在に気づき、歌唄は何かを閃いたかのように、空海の腕を引いた。
「空海、ちょっと来て」
「え? な、何だよ、一体?」
「いいから」
空海を引きずるように、歌唄は階段を登っていく。そうして一番上の段に着いてから、亜夢に対して声を発した。
「あむ、イクトの部屋で待ってて。すぐすむから」
「ち、ちょ……、歌唄!?」
それだけ言い残して、歌唄は空海と共に自室に姿を消した。
「……上がれば?」
素っ気なく幾斗に言われ、俯きながら、お邪魔します、と亜夢は足を踏み入れた。そのまま幾斗に続いて、階段を上って幾斗の部屋に入る。確かに、覚悟を決めた。決めた、のだが。
(こんな急な展開は……)
正直、参る。心の準備も何も、あったもんじゃない。
そんな亜夢の心境を知ってか、幾斗はコンポにクラシックのCDを入れ、若干音量を上げる。何となく、歌唄と空海に、聞き耳を立てられている気がした。
入り口で立ち竦む亜夢に近づき、幾斗は亜夢の耳元に手をやる。その仕草に、亜夢は身を縮ませた。反応で、亜夢が緊張していることがわかる。歌唄に何を言われたのかは知らないが、正直、こんな亜夢は対処に困る。
ふぅ、と深いため息を吐き、幾斗はベッドに腰を下ろして亜夢に手招きをした。
◇ ◇ ◇
「……何、やってんだ?」
歌唄は、壁にぴったりと身体を貼りつけて、耳を澄ましていた。
「黙ってて」
し、と空海に言って、歌唄は神経を耳に集中させる。幾斗と亜夢のことが、気がかりだった。今日の歌唄の話を聞いて、少しは亜夢が勇気を出せればいいのだが。
「もぅ。音楽、邪魔。何も聞こえないじゃない」
「……」
退屈そうに、空海は歌唄を見つめる。やがて、徐に歌唄に近づき、頬を摺り寄せた。
「うーたーうー」
子供のように甘えた声を出しながら、空海は自分の手を歌唄の服の中に入れる。
「ち、ちょっと、待ちなさいよ! 今は、あむたちが……」
「だめ。待たない」
壁に背中をつけ、逃げ場のない歌唄の唇を、容赦なく空海のそれで塞ぐ。
「ん……っ!?」
空海は歌唄の唇の隙間から、素早く自分の舌を滑り込ませる。そうして歌唄のそれを見つけ、執拗に絡みつかせた。歌唄の身体の力が抜け、頭が呆けてくる。
諦めたように、歌唄は空海の背中に手を回した。
◇ ◇ ◇
「な、何……?」
ベッドに座って手招きする幾斗に怯えながら、亜夢は聞いてみる。
「おいで」
穏やかな笑顔で言われて、亜夢の足は自然と幾斗に歩み寄った。幾斗の目の前まで足を運ぶと、幾斗は亜夢の手を握って、亜夢に反対を向かせて目の前に座らせた。それから優しく抱き締める。
「あむが嫌なことはしねーから。絶対」
(あ……)
幾斗は、傷ついている。亜夢が、怯えているから。
(……どうしよう)
傷つけたくないのに。今まで、幾斗はさんざん傷ついてきた。だから、絶対に傷つけないと誓ったのに。
どうしよう。幾斗を、傷つけてしまった。
――あむが嫌なことはしねーから。
(……嫌?)
亜夢は、嫌なのだろうか。幾斗に触れられることが。幾斗と、一つになることが。
違う。嫌じゃない。だって。
「い、イクト!」
亜夢はベッドから降りて、幾斗と向かい合うように立った。そしていきなり幾斗の胸倉を掴み、自分に引き寄せる。
「あむ?」
亜夢の突然の動きに、幾斗は目を丸くして顔を赤く染めた。亜夢からキスをされたのは、初めてだ。
「あたし、大丈夫だから。あたしも、イクトのことが大好きだから。だから、大丈夫。い、嫌じゃない、から……」
言いながらも、少し混乱して同じことしか言葉にならない。でも、それでも一生懸命な亜夢に、幾斗は嬉しくなる。
「……ありがとう」
亜夢の手を引き寄せ、幾斗は亜夢を少し屈ませて亜夢の唇に吸いついた。亜夢の言葉が、堪らなく嬉しい。
「本当に、いいのか?」
唇を放し、幾斗はもう一度確認する。これ以上触れてしまうと、本当に歯止めが利かなくなる。例え亜夢が嫌がっても、止めてあげられないかもしれない。
「うん。イクト、大好きだよ」
言いながら、亜夢は幾斗に抱き着いた。幾斗はもう、限界だった。
「初めてだな」
「え?」
嬉しそうに、幾斗は亜夢の耳元で囁いた。亜夢の気持ちはわかっていたが、大好きと直接言葉で言われたのは、初めてだった。
涙が出そうなほど、嬉しい。
「あむ」
名前を呼び、唇を重ねながら素早く亜夢をベッドに横たえる。
「――…あむ」
亜夢の存在を確認するように、幾斗は何度も亜夢の名前を呼ぶ。
不安、だったのかもしれない。大切なものは手に入らない、と幾斗は諦めを知っているから。
あれほど怖かったのが、嘘のようだった。今はただ、恥ずかしい。でも、嫌ではない。むしろ、嬉しい。幾斗が喜んでくれることが。そして何より、幾斗と一つになれることが。