しゅごキャラ!/バブル(2)
「産まれましたよ」
そう言って、看護士が産まれたばかりの赤ん坊を空海の前に差し出した。
「……」
「大丈夫ですよ、手を添えてあげるだけで。今、降ろしますね」
震える手で、空海は自分の子供を受け取る。小さくて軽いのに、どういうわけかずっしりと重みを感じる。これが、生命の尊さというものなのだろうか。
「月詠さんは、もうしばらく麻酔が効いてますから。先に、病室に運んでおきますね。赤ちゃんは、もう少ししたら迎えにきますから」
妊娠38週。歌唄は逆子のため、帝王切開により無事に出産を迎えることとなった。2400グラムと若干小さめではあるが、元気な女の子だ。
空海の腕の中にいる小さな生命を、歌唄はまだ抱き締めていない。それなのに、自分が先に抱き締めてもよかったものだろうか、などと思いながら、空海は固まっていた。か細い声で、懸命に泣いている。その姿さえ愛しく感じて、空海は目頭が熱くなった。
人間が人間を作り、そして産まれる。その工程が、まるで奇跡のように思えて不思議でならない。生命の誕生の理が、とてつもなく素晴らしいものに思える。
隣にいる空海や歌唄の両親が、代わる代わる空海に声をかけていた。だが、空海の耳には一切届かない。目の前にいる、小さな我が子の鳴き声しか、空海には聞こえてこない。
こんなに小さいのに、生きている。ちゃんと呼吸をして、泣いている。そんな当たり前のことが、何故かとても不思議で。女はすごいな、と改めて実感するとともに、空海は深く、出産という大仕事を終えた歌唄に、感謝していた。
「……歌唄」
産後、後腹に苦しむ歌唄に、空海は声をかけた。空海には決して理解できない苦しみだが、帝王切開で出産すると陣痛を知らないわけなので、陣痛並みに後腹は痛いらしい。逆に陣痛を経験していると、陣痛よりは痛くない、と後腹を我慢できる人が多いらしいのだ。あくまで、一般論ではあるが。
看護士に聞かされてはいたが、普段、あれほど強い歌唄が、こんなにも顔を歪ませて痛みを我慢している姿は見たことがない。
それでも一言、どうして言いたくて。
「ありがとう、歌唄」
「……え?」
突然の謝礼の言葉に、歌唄は目を丸くする。
「俺の……、俺たちの赤ちゃんを、産んでくれて」
「……」
少しだけ、歌唄の表情が和らいだ。出産を終えた妊婦にとって、それが何よりの労いになる。産んでよかった、と素直に思った。
「それが聞けて、嬉しいわ。そう思ってくれて、ありがとう」
苦痛に堪えながらも無理に微笑む歌唄の唇に、そっと空海はキスを落とした。
「さっき、新生児室に並べられてたけど。一番可愛かったぜ」
「まぁ」
ふふ、と歌唄は口元に笑みを浮かべる。
「それで、名前が浮かんだ」
目を閉じて、空海は歌唄の手を握る。
「色々考えたけど。顔見たら、これがぴったりだって思った」
「……何?」
聞いた歌唄の耳元で、空海はそっと囁くのだった。
◇ ◇ ◇
「わぁ。かわいぃ~」
3日前に産まれたばかりの歌唄と空海の赤ん坊を見て、亜夢は目を輝かせた。
「猿みてぇ」
「おまえ、人の子に対して……。それに、おまえの姪っ子だろうが」
幾斗が赤ん坊の感想を見たままに言うと、すかさず空海が口を開く。確かに産まれたばかりの赤ん坊は、皮もボロボロだし、顔は赤いし、見た目は猿のように見えなくもないが。
「ねぇ、名前は? なんてつけたの? どっちが決めたの?」
幾斗と空海を無視して、亜夢は歌唄に聞いた。自分のことのように嬉しくて、心が弾む。
「みいろ。心の彩りって書いて、心彩。どんな時でも心のきらめきを忘れないようにって、空海が考えたのよ」
「へぇ。やるじゃん、空海」
空海に笑顔を見せると、空海は心彩と名づけられた自分の子供を抱いて、優しく微笑んだ。
「産むのは協力できないから。せめて名前だけはって思ってな」
「名付けの本を買ったりして、頑張ってたわよね」
くすくす、と笑いながら、歌唄はそう言った。子供が産まれたことにより、二人の間の空気がもっと穏やかになった気がする。ふんわりとしていて、見ていてこっちまで癒される。
「月詠さーん、検温でーす」
ノックをして、看護士が室内に姿を現した。
「じゃ、俺ら外にいるから」
「ええ」
空海はそう言って歌唄に声をかけてから、部屋を出て行く。それに続いて、亜夢と幾斗も部屋を出ていった。
「くーかーいっ」
部屋を出るとすぐに声がして、空海は声のした方を向いた。
「よぉ。みんな、来てくれたのか」
ぱぁっと空海の表情が明るくなる。
「相馬くんの馬鹿親っぷりを、直に見ようと思って」
「それと、歌唄の赤ちゃん」
「りまちゃん……。そっちがついでなの?」
そこにいたのは、ややと唯世、それからりまとなぎひこだった。
「あー。あむちとイクトもいるー♪」
空海の後ろにいた亜夢に気づいて、ややが飛びついてきた。
「相変わらず、ラブラブですなぁ?」
「ば、馬鹿。何言ってんの」
口元を綻ばせてそう言ったややの言葉を、亜夢は慌てて否定する。
「今から診察だから、ちょっと下に行こうぜ。ジュースでも奢る」
「おぉ!? パパってば、太っ腹だねぇ♪」
「ジュース如きで太っ腹なんて言われたかねぇな」
ややの言葉に、少し肩を落として空海がそう呟いた。
「歌唄ちゃんに似てるー?」
「でも、目元は相馬くん似じゃない?」
「空海に似てたら、かわいくないわよ」
「言えてるね」
「……おまえら、随分と好き勝手言いやがって」
黙って話を聞いていた空海が、ようやく搾り出すような声を出した。それを横目で見ていた歌唄が、ふ、と微笑む。
「ああ、そういえば」
思い出したように、空海は歌唄を向いた。
「日奈森とイクト、先に帰るって。また来るって言ってたぜ」
「そう」
「つーか、そうか。兄貴になるんだ、イクトって」
言いながら、ふと思ってしまった。歌唄と結婚すれば、必然的にそうなるのが道理である。改めて思うと、不思議な感覚だ。
「イクト兄さんとあむちゃんが結婚したら、あむちゃんは相馬くんのお義姉さんになるんだよ」
「げ。年下だぜ?」
「でも、そうよね」
唯世の言葉に頷きながら、歌唄は空海を見る。
「あたしにとっても義姉になるんだもの。すごく不本意だけど」
そう、歌唄は付け足した。くすくす、と微笑いながら、唯世は空海に目を移す。
「例えば、だけど、僕があむちゃんの妹さんと結婚したら、僕はあむちゃんの弟になるんだよね」
唯世の言葉に、空海が反応する。それはそれで、面白いかもしれない。
「いいじゃん、それ。結婚しろよ、唯世」
「え?」
「そうだね。面白いんじゃない?」
「元カノの妹と結婚とか、ありえないから」
「でもでもぉ、面白いから、オールオッケー♪」
「別に、元カノってわけじゃあ……」
唯世の声も虚しく、空海たちは異様なまでの盛り上がっている。例え話でもするんじゃなかった、と後悔する唯世だった。
◇ ◇ ◇
「可愛かったなぁ」
幾斗の部屋のベッドに腰かけて、亜夢はクッションを握り締める。何度思い出しても、可愛くて仕方がない。
「……赤ちゃん、ほしいなぁ」
ぼそ、と亜夢が呟いたのを、幾斗は聞き逃さなかった。
「いつでも協力するぜ?」
さっと亜夢の肩を抱き、頬にキスをする。珍しく、亜夢が動かない。
「あむ?」
訝しげに、幾斗は亜夢の顔を覗き込む。
「かわい、かったよね?」
ちら、と幾斗に同意を求めるような表情をして、亜夢は幾斗を見た。
「マジで、ほしくなった?」
幾斗が問うと、かぁっと赤くなって、亜夢は、こくん、と頷いた。
「じゃあ、作ろうか?」
亜夢の額にキスをして、徐にベッドに寝かせる。いつもならここで、文句の一つもあるのだが。今日に限って、それがない。本当にいいのか、と思わず幾斗は自身に訊ねる。
「いつも、避妊してるんだよね?」
「まぁ、一応」
「避妊しなきゃ、赤ちゃんできる?」
顔を真っ赤に染め上げて、亜夢は言う。相当、心彩に感化されたようだ。
「30%の確率らしいけどな」
「できない可能性の方が高いってこと?」
「単純に考えれば、な」
亜夢の唇に自分のそれを触れさせて、幾斗は亜夢の隣に転がる。そしてつまらなそうな表情をして、亜夢を見た。
「そんなに、ほしい?」
「……うん」
素直に、亜夢は頷く。
妹の亜実が誕生した時は、自分もまだ子供だったため、ここまでかわいいとは思えなかった。
でも今は、純粋に赤ん坊が欲しい。小さな小さな、幾斗の子供が。そうすれば、今よりももっと幾斗に近づける気がするから。
「でも、今日はしない。何かムカついた」
「はぁ!?」
せっかく人がその気になっているのに、どうして幾斗がそういう態度に出るのか。亜夢には皆目、検討もつかなかった。
身体を起こして、反対を向いている幾斗を揺する。
「何で? イクト、いつも言わなくてもするじゃん。何で今日に限って、そんなこと言うの?」
「ムカついたから」
「だから、どうしてムカついてるの? 何に腹が立ったのよ」
幾斗は、亜夢がどんなに我儘を言っても怒らない。どんなに天邪鬼なことを言っても、決して怒らず、亜夢を宥めてくれる。
そんな幾斗が腹を立てた原因が、亜夢にはわからなかった。
亜夢が泣きそうな表情をしていることに気づいて、幾斗は慌てて身体を起こし、そっと抱き寄せた。少し、大人気なかったか。だが、腹が立ったのも事実だ。
「悪かった。ただ、あむが……」
「あたし?」
「いつも、する前は乗り気じゃない亜夢が乗り気になってる理由が、子供がほしいからだっていうのが、ムカついた」
言いながら、幾斗は少し顔を赤らめる。こんな情けない表情を、見られたくない。
「ち、違うよ」
抱き締める幾斗から離れ、亜夢は真っ直ぐに幾斗を見つめる。
「あたし、赤ちゃんが欲しいんじゃないよ。イクトの赤ちゃんがほしいんだよ」
「……俺の?」
「そうだよ。イクトとあたしの赤ちゃんがほしいの」
亜夢の言葉に驚く幾斗を尻目に、亜夢は幾斗の胸に中に顔を埋めた。
「今日、歌唄と空海を見て、すごく羨ましいなって思った。二人の間には、鉄壁の絆ができてる。きっと、何があってもあの二人は動じない」
顔を真っ赤にして、亜夢は勇気を振り絞る。こんなセリフ、いつもなら言えないし、言わない。
「あたしも、イクトとの間に見えない繋がりがほしいの。今よりも、もっともっとイクトを近くに感じたいから」
真剣な表情で、亜夢はそう言った。幾斗の苛立ちは、きっとヤキモチだと思う。亜夢が、あまりにも心彩のことばかり気にかけるから。それが、気に入らなくて。
あまつさえ、急に『子供が欲しい』と言い出した。それも全部、心彩に影響されてのことだ。
「みっともねぇな、俺」
「そんなことないよ」
幾斗の首に、亜夢は自身の腕を絡める。
「イクトはいつだって、格好いいよ」
「……初めて聞く言葉だな」
亜夢の背中に手を回して、幾斗はゆっくりとベッドに横たえる。
「い、いつも思ってるよ。言わないだけで」
幾斗から視線を逸らして、亜夢は言った。
「本当に? 愛されてるんだな、俺」
くっくっ、と微笑いながら、いつものように意地悪な口調で幾斗はしゃべる。でも、今回は亜夢も負けない。
「愛してるよ。イクトが想うよりも、ずっと」
「――…」
亜夢の表情を見れば、無理をして言葉にしているのがよくわかる。でも、偽りの言葉ではない。思っていることを口にできないのが、亜夢だから。
「つけなくてもいい?」
亜夢の耳元で、幾斗は囁く。それがくすぐったくて、身を捩らせながら、うん、と亜夢は頷く。
「でも、今日だけだからね。やっぱり、今は……」
「わかってる」
言いかける亜夢の唇を自分のそれで塞ぎ、亜夢の言葉を遮る。啄ばむようなキスをされながら、亜夢は幾斗に身を委ねるのだった。