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7. 狼の自覚(最終話)
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駿介はペットボトルの水を飲み干したあと、それをぐしゃりと潰し、壁に投げつけた。さて、この怒りを、どうしてくれようか。
殺してやりたいのはやまやまだが、千真の悲しむ顔は見たくない。
駿介は、ちっ、と大きく舌打ちをして、ギプスで固定された右腕を、壁に向かって振り下ろす。もちろん、痛くないわけはないのだが、千真の身体を見たあとでは、こんなもの、屁でもない。
「治りが遅くなるよ」
室内に灯りが点いて、同時に旭が声をかけてきた。
「……悪かったな」
「それは、賀永さんのこと? まぁ、駿介がキレるのも判るし、今日は大目に見るけど、次は俺がいないときにしてほしいね」
「判ってる」
隣の部屋に旭がいるのを知った上で、千真に手を出したのだ。多少文句を言われるのは覚悟していたが、改めて言われると、少しばかり千真に申し訳ない気持ちも出てくる。
駿介のスマホに届いた、千真からのメッセージ。本人は旭に送ったつもりだが、その宛先は駿介だった。
折り返し電話をするも繋がらず、すぐに千真のアパートに向かい、大家に鍵を開けてもらって中に入った駿介は、ベッドで小さく丸まった千真を見つけて安堵する。何気にテレビの奥、自分が応急処置として貼った絆創膏に視線を移し、そのすぐ近くに新しい穴を見つけ、慌てて千真を抱き上げて部屋を出た。
ギプスを釣っていた三角巾をはずして千真を抱えたが、いくら千真が軽いとはいえ、折れた腕に負荷がかかればそれなりに痛い。
旭に連絡してアパートの下まで迎えにきてもらい、一緒にマンションに帰ってきたのが2時間ほど前のことだ。
「これ、さっき買ってきた。あとで塗ってあげて」
旭が差し出してきた軟膏を受け取って、駿介は小さく息を吐く。
こんなもの、ただの気休めにしかならない。カッターで作る自傷行為の痕とは違い、ひとつひとつの傷が肉を抉るように太い痕を残していた。
旭の車を降りるときに千真が呻き声を漏らし、どうやら脇腹を痛そうに押さえたので、なんの気なしに服を捲って、後悔した。せめて、旭のいないところで捲ってやればよかった。そうすれば、旭に痕を見られることもなかったのに。
千真の腹部を見た駿介と旭は、言葉をなくした。腕も相当ひどいと思ったが、それ以上の痕が、千真のつらさを訴える。仕事を辞めたいと思っても、無理はない。
「社長には連絡した。明日、ふたりには退職勧奨を出す」
「ぬるいな」
「仕方ないだろ。証拠がない以上、強制はできない」
「……証拠か」
「言っとくけど、おまえがなにがしようとするなら、俺はなにがなんでもそれを止める。これ以上、賀永さんを苦しめるな」
ここで千真の名前を出されたら、駿介にはそれ以上、なにも言えない。
ちっ、と舌打ちをして、駿介は部屋へと足を向けた。
「駿介」
「……なんだよ」
駿介は立ち止まり、旭を向く。
「おまえは今、平社員なんだ。役付でもなんでもないんだから、勝手なことは許されない」
「わかってる」
「いっそのこと、副社長に戻ったらどう? 社長も、それを望んでるみたいだったけど」
「俺には向いてないから、今のままでいい」
「駿介」
「今度はなんだよ」
背を向けた駿介の肩に手を置いて、旭は言いづらそうに頭を掻いた。
「頼むから、今日はもう、賀永さんに手は出さないで。俺、眠れなくなりそうだから」
「……努力する」
努力でどうにかなるようなものでもないとは思うが、とりあえずそう返事をして、駿介は部屋のドアを閉めた。
すよすよと眠る千真のあどけない頬に触れ、肩の力が抜ける。
オーキッドはもともと、旭の兄・新が起業した会社である。起業する際の株主が新と旭、それから駿介だった。
起業したとき、駿介は副社長として就任していたのだが、下からの相談が煩わしくなり、そうそうに副社長を辞任して、旭のいる経理部に籍を置いて仕事をするようになった。もともとの能力が高いため、年下とはいえ、開発部や営業部の部長からも頼りにされ相談も受けることが多いので、経理部所属と言いながら、その実、オールマイティーで仕事をしている。
仕事は嫌いじゃない。けれど副社長となると、話は別だ。
好きでもない相手との接待はあるし、部下のいざこざにも首を突っ込まないといけない。
そんな至極面倒なことは、ごめん被りたいのが本音だった。
シーツを捲り、旭からもらった軟膏を塗ってやれば、冷たかったのか、千真はぴくりと反応して薄らと目を開けた。
「……しゅんすけさん?」
「悪い。痛かったか?」
「ううん」
首を横に振るその顔は、まだまどろみの中にいるのか、眠そうだ。
触れるだけのキスを落として、薬を取った手で腹を撫でてやると、千真の眉尻が下がり、涙がこめかみを伝った。
「……ごめんなさい」
「なんで謝る?」
「だって、きれいじゃないから」
「そんなことねーよ」
駿介は千真を安心させるように、優しく口づける。こめかみに伝った涙を掬ってやれば、ふふ、と千真が笑った。
「なんか、優しい駿介さんて、変」
「なんだと?」
少しばかりムッとするが、千真が手を伸ばしてきたので、そんなのはどこかへ吹き飛んだ。夢の中が心地いいのか、こんなに甘えてくる千真は初めてだ。
「でも、もう少しだけ、優しい駿介さんでいてほしいな」
「俺は、いつだって優しいだろ」
「嘘ばっかり」
くす、と笑んだ千真の唇に、そっとキスを落とす。旭と約束したばかりだが、やはり努力だけではどうにもならないこともありそうだ。
角度を変えてキスをすると、どんどん身体の奥が熱を持ってくるのがわかる。
千真も受け入れる姿勢を見せる一方で、それでもまだ夢の中にいるのか、すぐに、すー、と寝息をたてた。
千真を抱き起こしてやり、あますところなくつけられた傷痕に猛り狂いたくなるのを堪えながら、丁寧に薬を塗ってやれば、痛いのかくすぐったいのか、千真が身を捩った。上を向いた千真の唇に啄むように口づけながら、駿介は千真の身体に触れていく。
ときおり、千真の口から漏れる吐息に、ぐ、と下半身を刺激され、けれど旭との約束を思い出し、葛藤の渦の中、やはり欲望に勝てるはずもなく。
薬を塗ったあとでさんざん千真を鳴かせた翌日、案の定、旭から大目玉を食らった。