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5. 報復の差出人

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 ブブ、と耳慣れた音で、千真は目を覚ました。

「――はい」

 耳元で、駿介の声がする。それに安心して目を閉じたのは一瞬で、ギョッとして身体を離せば、スマホを耳に当てたままの駿介が驚いた顔をしていた。

「ああ、悪い。今から帰る。……ああ、わかった」

 スマホからわずかに聞こえてきた声で、電話の相手が旭だということは判ったが、今の状況は飲み込めない。
 混乱する千真をよそに駿介は立ち上がると、おい、と千真に手を差し出した。

「おまえ、どうする?」

「ど、どうするって?」

「だから。うちに、来るか?」

「……え?」

 だからって、一体どうしてだからという話になるのだろう。
 千真は差し出された手を握って立ち上がり、はらりと肩からシーツが落ちたことで記憶が巡ってくる。慌ててそれを掴み上げ、ふと顔を上げれば、テレビの裏の絆創膏が目に入った。

 ごく、と唾を飲んだのが判ったのか、駿介が優しく抱き寄せてくれる。

「まったく知らない赤の他人に見られるか、俺に見られるかの2択だな」

「いやな2択ですね」

 駿介が声を明るくして言ったので、千真も肩の力を抜いて、口元を綻ばせた。

「俺としては、ここに置いておきたくはない。けど、連れて帰ったら、間違いなくヤる」

「……ん」

 駿介から触れるだけのキスが落ちてきて、額を合わせる。どうする、とその瞳が聞いてくるが、なんとなく、もう答えは1択しかないような気がした。

「ひとつだけ、いいですか?」

「なんだよ」

 会話の間にキスが降ってくるのがくすぐったくて身を捩れば、がっしりと腰を掴まれた。

「するのは、決定事項なんですか?」

「当然だろ。今すぐ押し倒したいのを我慢してるのに」

 押し倒したいって……。そんな言葉を、照れもせず言うのはやめてほしい。
 だけど。

「――はい」

 千真は、背伸びをして駿介の首に腕を回した。

「駿介さんの家に、行きます」

 そう言えば、今度こそ深いキスを贈られた。

◇ ◇ ◇


「ん……、駿介さん、ちょっと、ま……」

「うるせぇな。黙れよ、もう」

 タクシーを降りてからずっと、駿介はこの調子で千真に喋る隙さえ与えてくれない。

 千真は、とりあえず明日の着替えだけを持って、アパートを出てきた。タクシーの中ではほぼ無言に近く、当たり障りのない会話しかなかったのに、駿介の住むマンションの下に着いてからは、とうとう限界に達したのか、エレベーターの中でもずっとキスを離してくれない。
 一度、服の中に手を入れてこようとしたのはさすがに止めたのだが、キスはやめてくれなかった。

 もどかしそうに家の鍵を開けた駿介は、左手1本で千真を抱え上げ、奥の部屋へと連れて行く。
 パタン、とドアの閉まる音がしたときには、やっぱり少し怖くなって、駿介の肩に置いていた手が震えてしまった。

 ベッドに降ろされてようやく唇が離されたとき、肩に置いていた手を取られ、口元に持っていかれた。

「いやがるな。怖くしねぇから」

 手のひらにキスをされ、どくんと胸が跳ねる。
 いやがっているわけでも、怖いわけでもない。ただ未知の世界のことなので、どうすればいいのか判らないだけで。

 お腹の辺りに、ひんやりとした駿介の手が触れたので、慌ててその手を掴んだ。

「待ってください。せめて、お風呂に……」

「あとで一緒に入ればいいだろ」

 一緒に!? ギョッとした千真を気にすることなく、駿介は千真の服を一気に脱がす。急に外気に触れたのが心許なくて、思わず胸元にやった腕にも、唇が寄せられる。

「隠すな」

「む、無理です」

 電気は点いていないとはいえ、月明かりで相手の顔さえしっかり見えるこの状況で、恥ずかしくないわけがない。

 胸の前で交差した右手を取られ、その手首にも唇を寄せられて――、駿介の顔色が、変わった。

「おい」

「……え?」

 低い声に、ハッとする。
 部屋の薄暗さで見えないと思っていたのに、月明かりはそれを隠してくれない。

「なんだ、これ」

「え、っと……」

 どうしよう。言い訳が出てこない。なんて言えばいいのか悩んでいると、突然、部屋が明るくなった。

「駿介。俺がいるの、忘れてないよね?」

「忘れてねーよ」

 呆れ返ったような旭が、部屋の入り口に凭れていた。

◇ ◇ ◇


「うわ、ひどい。これ、なにでやられたの?」

「……爪、です」

 駿介と旭は、千真の両腕を見て言葉をなくした。ひどいミミズバレが、手首から肘の間に無数にあって、ところどころ血が滲んでいる。

「爪かぁ。あれって、実はかなり凶器だよね」

「おい」

 なにか経験があるのか思い出しているふうに言った旭を、駿介が睨む。

「なんで言わなかった?」

 はー、と至極面倒そうにため息を吐いた駿介に、ズキッと心臓が痛むのを感じ、千真は唇を噛んで下を向いた。

「言っても、どうにもなりませんから」

「あぁ?」

 苛立ちを隠そうともせず、駿介は凄んでくる。千真は、負けるもんか、と頬を膨らませた。

「消毒液とかってあったか?」

「消毒液ねぇ。あったかなぁ」

 旭が記憶を辿るように天井を向きながら立ち上がるのに、思わず、大丈夫です、と声を出し、差し出していた腕を自分のほうに引き寄せた。こんなことで、いちいち旭の手を煩わせたくはない。

「こんなの、唾でもつけとけば治りますよ」

「――言ったな?」

 え、と顔を上げた瞬間、駿介が千真の腕を取り、ミミズバレができたそこへ舌を這わせる。ゾクゾクっと駆け上がってくるものがあるのと同時、どうしてこの人は、こんなにも周りの目を気にするということができないのかと甚だ不思議でならなかった。

 今だって、旭が見ている目の前で、なんてことをしてくれるのか。ほら、旭が目のやり場に困って、目を泳がせているじゃないか。

「や、やめてください〰〰」

「じゃあ、ちゃんと手当てしろ。身体に痕を残すんじゃねぇよ」

 自分は残すのに。呆れ返った旭の言葉は、当然、駿介の耳には入ってこない。あれだけ千真の身体にキスマークをつけまくってた奴が、一体どの顔をして言うんだか。
 でもそれだけ、千真を大切にしているんだろうなぁ、と判り、千真には悪いが、なんだか微笑ましくもあった。

 自慢じゃないが、駿介も旭も、学生の頃から女の子に声をかけられることが多かった。旭はそれでも女の子が好きだったからそれなりに遊んだりもしたけれど、もともと女の子がそんなに好きではなかった駿介は、それでかなり女の子に苦手意識を持つようになった。

 そんな駿介が、自分のものだと見せつけるように千真にマーキングをしているのは、駿介の過去を知っている旭としては、いい傾向にあるのだと思えるのだ。もちろん、千真にはいい迷惑ではあるのだが。

「そ、そんなことより、どうして旭さんがここにいたんですか? ここって、駿介さんの家なんじゃあ?」

 無理矢理腕を振り払って、千真は話題を変えるように旭を向いた。旭は、え、と目を丸くして、駿介を見る。

「言ってないの?」

「忘れてた」

「いや、忘れないでしょ、普通」

 まったく、この男は。きっと面倒で言わなかっただけなんだろうな、と駿介の性格が判るだけに、段々と千真が哀れになってくる。

「ここね、俺と駿介の家なの。一緒に住んでるんだ、俺たち」

「え? ……えええぇぇぇっ!?」

「別に、隠してるわけじゃないんだけど、言いふらしてるわけでもないからね」

「……」

 千真はあんぐりと口を開けたあと、キッと駿介を睨んだ。

「い、一緒に住んでて、あんなことしようと思ってたんですか!?」

「一緒に住んでても、一緒にヤるわけじゃねーんだから、問題ねぇだろ」

「問題ありますよね!?」

 うん、それには激しく同意する。最近、よくこんな顔を見るなぁ、とわなわなと口を震わせる千真の顔を見て思った。

「俺も、いやだよ。隣の部屋から賀永さんの喘ぎ声が聞こえてくるの」

「!? あ、あえ……っ」

 口をパクパクとさせる千真は、まだ見たことがなかったなぁ、なんて旭が呑気なことを思ったのが判ったのか、千真は涙目になって、セクハラですっ、と大声で叫んだ。