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5. 報復の差出人
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「落ち着いたか?」
「……はい」
ぐすっと鼻をすすれば、駿介はハンカチを持っていなかったのか、高そうなコートの袖を、ごしごしと千真に擦りつけてくる。まだ化粧も落としていなかった千真の顔は、涙でボロボロだ。
「コートが汚れます」
「いい。それより、なにがあった?」
千真は、高そうなコートを汚してはいけないと駿介の腕を退けようとするが、駿介は千真の腰を引き寄せ、距離を縮めてくる。
あらかた涙を拭かれると、そのまま肩に凭れさせてくれた。
ひとしきり泣いて落ち着いたせいで、千真はそこが玄関の床であることにようやく気づいた。
ちなみに千真のお尻は駿介の太腿の上に乗っており、まったく冷たくない。駿介は直接、床に腰を下ろしているので、相当冷えるはずなのだが。
「すみません、こんなところで。奥に行きましょう?」
「誘ってんのか?」
「違います!」
いい人だなんて思った千真がバカだった。
なんの用事で来たのかは判らないが、用件を聞くでもなく、いきなり泣き崩れた千真のそばにいてくれ、おまけに千真が冷えないよう、心配りもしてくれていたのに。
優しいのか意地悪なのか、判らなくなる。
千真は今度こそ立ち上がると、奥へ進んだ。ワンルームなので、玄関の正面にベッドが置いてあるのが丸見えだ。その足元にテレビを置いて、真ん中にテーブルを置いたらほかにスペースがない。
千真は実家から引っ越してくるとき、必要最低限のものだけ持って家を出た。なにかあれば、取りに帰れない距離ではない。
「そんな格好してるから、誘ってんのかと思った」
言われて、駿介の視線を追えば、駿介は千真の胸元を見ていた。お風呂に入ろうとハイネックを脱いでブラジャーだけになった、千真の胸元を。
「おまえ、着痩せするんだな。結構デカくて、ビビった」
「!?」
見ているだけでも問題があるのに、あろうことか、駿介は言いながら、確認するように千真の胸に触れてくる。
ブラシャーがあるとはいえ、当然、直接肌に触れる部分もあるというのに、なにを考えているのか。セクハラで訴えられても、文句は言えないはずである。
「こ、これは、たまたま……」
「タマタマ? 見たいのか?」
「なにをですか!?」
ボタンを止めていなかった言い訳をしようとすれば、なにを勘違いしたのか、駿介はズボンのベルトを緩め始めた。
セクハラを通り越して、強姦になりそうだ。
「なにって、おまえがタマを見たいって言うから、見せてやろうと思っただけだっつーの」
「見たいなんて言ってないし、セクハラですってばっ」
「なんでだよ」
なんでだよ、はこっちの台詞だ。
最近、気になってはいたのだが、どうにも千真のことを虐めすぎではないだろうか。
「――?」
千真がわなわなと唇を震わせていると、駿介は突然目を細め、キョロキョロの部屋の中を見回し、ベッドからシーツを手繰り寄せると千真の身体に巻いた。
「大狼さん?」
「しっ」
静かに、と口元の前で人差し指を立て、なにかを探すように部屋の中を歩き始める。
壁を伝い、ちょうどテレビの影になっているところで足を止めた駿介は、なにを思ったのか、いきなりテレビ台を動かした。
千真がギョッと目を剥くと、駿介は玄関に放置されたままの鞄を漁り、またテレビに近づくが、あいにく、駿介が壁となって、千真からはなにをしているのかわからない。
呆然としたまま待っていると、駿介が大きなため息を吐きながら近づいてきた。
「おまえ、知ってたのか?」
「な、なにをですか?」
「あそこ。壁に穴が開いてる」
言って、駿介が立てた親指を向けたのは、テレビの後ろ側の壁だった。不自然な絆創膏に笑いが出そうになるのも一瞬で、急に背筋が凍る。
千真は、駿介に巻かれたシーツを、ギュッと握り締めた。
「し、らない……です」
止まった涙が、また溢れてくる。
壁に穴が開いていたなんて、そんなの、隣の部屋から千真の行動は丸見えだったということではないか。
もしかして、さっきのカメラの音も。
膝を抱えて泣き出せば、いつの間にか隣に来た駿介が抱き寄せてくれる。
そういえば一体、なんの用事があったのだろう。
「なんで、旭さんの電話だったんですか?」
「あん?」
疑問を口にした瞬間、駿介が機嫌を悪くしたのがわかった。あれ、と思ったが、千真は言葉を続ける。
「さっき電話くれたの、大狼さんですよね。あれ、旭さんの携帯からじゃなかったです?」
「なんで俺が旭の携帯でおまえに電話するんだよ。俺の携帯だっつーの」
あれれ、そうだっけ。だとしたら、完全に見間違いだ。いい加減、登録名を変えるべきだと本当に思った。
「じゃあ、大狼さんは、なんの用があったんです?」
「……」
「大狼さん?」
不貞腐れたような駿介に、千真は首を傾げる。駿介は舌打ちして、顔を背けた。
「なんで俺は『大狼さん』で、旭は『旭さん』なんだよ」
「え? なんでって」
なんでだろう。あまり深く考えたことはなかったけれど、旭のことを名前で呼ぶようになったのも最近だ。それだって、駿介が紛らわしいと言ったからで。
「俺のことも、名前でいいだろ」
「……駿介さん?」
そう呼んだ瞬間、強い力で引き寄せられた。呼吸ができない、と気づいたのはひと息置いてからで、蹂躙するような乱暴なキスに、千真は力いっぱい、駿介の胸を手で押した。けれどその乱暴なキスが、次第に優しいものに変わっていくのがずるい。
絡められた舌から駿介の優しさが伝わってきて、それが千真を落ち着かせる。駿介を拒絶するように胸を押していた千真の手は、次第に力が抜け、駿介の首に縋るように回っていた。
プチン、とブラジャーのホックがはずされたのが判り、千真が咄嗟に離れると、獣のような目をした駿介に捕われ、ゾクッとする。恐怖とは違うそれが、またお腹の奥を刺激した。
はー、と全身から息を吐き出した駿介が、千真の胸に顔を埋める。
「ヤりてー……」
「だ、だめですっ」
「当たり前だ。こんな誰が見てるかわからねーところで、ヤるわけねぇだろ」
ちゅ、と触れるだけのキスをして、駿介はまた千真の身体にシーツを巻きつけると、手繰り寄せた鞄の中から見覚えのある箱を取り出した。
「なんだよ、これ?」
「なにって……。バレンタインの、チョコです」
コンビニで買った、安物ではあるけれど。駿介のために買った、バレンタインチョコである。
「こんなもん、テーブルに置かれてたって、判んねぇだろうが」
「……はい?」
ふい、と顔を背けた駿介のそれは、明らかに駄々をこねているようにしか見えなくて。
突き返された箱と駿介を見比べながら、えーっと、と悩み、千真はおずおずとそれを差し出した。
「これ……、バレンタインのチョコです。……駿介さんに」
受け取ってもらえますか。そこまでは、言うことができなかった。
噛みつくようなキスに、言葉ごと飲み込まれてしまったせいで。