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1. メッセージの宛先

2

 正直、最近のスマホは、あまり違いが判らない。カメラの画質に違いがあるらしいが、カメラ自体使わないのでどうでもいい。
 強いて言うなら、画面の大きさだけである。

「どれにすっかなぁ」

 小さいほうが持ち運びには便利だが、少々文字が見づらい。それを旭に言ったら、ものすごく笑われたのを思い出し、そういえばと一緒に来た同僚に視線を移す。

「なぁ。おまえが使ってるのって……」

「……え?」

 千真を向けば、千真は目をキラキラさせて、最新のスマホを見ていた。
 駿介は思わず、ぶっ、と噴き出して、片手で顔を覆う。

「な、なんですかー!?」

「なんでもねぇよ」

 ぷう、と頬を膨らませてムキになる千真は、まるで小動物のようだ。駿介はくつくつと笑いながら、そんな千真の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 せっかくきれいにセットして来たのに、崩れてしまう。そう文句を言うより先に、手が退けられた。

「おまえも買うの?」

「買いませんよー。見てるだけですー」

 でも、いいなぁ。口から漏れた言葉ではないが、顔がそう言っている。
 今月は、かなり予算オーバーしているので、ここから先は切り詰めなければならない。旭に見てもらいたかったワンピースだが、これはこれで気に入っている。

 とりあえずは興が削がれてしまったので、しばらく告白することはないだろうが、そのうち、今度こそちゃんと旭に告白したい。そのときはまた、新しい服に身を包んで、旭を待とう。
 待っている間のドキドキは、不安もあったけれど、あれはあれで幸せな時間だった。
 それを思えば、今回のことも水に流せる気がした。

「せっかくだから、おまえも買えば?」

 わざわざ千真の上で頬杖をつくように、ずん、と駿介の肘が頭に乗る。ただでさえ低い身長が余計に低くなるし、髪がぐちゃぐちゃになるので、やめてほしい。

「いやですよ。今月はピンチなんです」

「給料出たばっかじゃねぇか」

「それでもピンチなんですー」

 痛いところを突いてくる。オーキッドの給料日は5日で、今日はまだ10日だった。だが今月は、千真の勇気出費があったので、これ以上使うわけにはいかないのだ。
 それなのに目の前の悪魔は、巧みな言葉で千真を陥れようとしてくる。

「お。これなんか、分割金500円でいいみたいだぜ」

 ぴく、と千真が反応する。見本として置いてあるスマホを触っている駿介の横について、そっとそれを覗き見た。
 千真のスマホも、決して古いわけではない。けれどやはり、新しいものには惹かれる。

 500円。ワンコインではあるけれど、それでも支払いが増えるのは控えるべきだろう。
 でも、500円か。

 今のスマホを買うとき、本当は白がよかったのだが、在庫切れで、仕方なく黒にした。なんの誘惑か、わざわざ『全色在庫あり』と大きなポップが目に入る。
 全色とは言っても、そもそも白がなかったら話にならないじゃないか、と思うが、ありがたいのか残念なのか、黒、白、赤の3色の見本まで置いてある。
 しかも白は、普通の白ではなく、クリスタルパールという名称になっており、ラメが混じっているのかキラキラしているのがまたかわいい。

 くそぅ、と唇を噛む。たった500円かもしれないが、それが2年間は続くのだ。
 落ち着け、千真。

 ふー、と一度深呼吸をして、隣の駿介を見上げる。180cm近い身長の駿介に、150cmしかない千真は、隣に並べば、まるで子供のようだ。

「決めた」

 千真がじっと見ていたのがばれたわけではなさそうだが、急に声を上げられて驚いた。駿介は目を丸くした千真を向くと、に、と口元に弧を描く。

「これにする。画面もデカいしな」

 ついで、色はー、と伸ばした駿介の腕を、千真は咄嗟に掴んでしまった。

◇ ◇ ◇


「トマトソースオムライスとたっぷりキノコのオムライスをひとつずつ」

「かしこまりました」

 ウエイトレスが注文を聞いて遠ざかっていくのを尻目に、千真は嘆息した。

「なんだよ、おまえがオムライス食べたいって言ったんだろ?」

「……言いましたけど」

 千真が気になっているのは、そこじゃない。旭とデートをするはずだった今日、どうして駿介と食事に来ているかということだ。
 おまけに、駿介の目の前に置かれた真新しいスマホと、自分の鞄から出すことをためらってしまったスマホは、なぜかお揃いの色違い機種。駿介が白を買おうとしたのを思わず止めて、気がつけば千真が白を契約していた。
 駿介は気を遣ってくれたのか、黒を選んでくれ、結果として色違いということになってしまったのだが。

 お互いの座る椅子の横には、同じスマホショップの袋が置かれていて、それがなんだかとてもむずがゆい。どうして購入するときに、お揃いになってしまうということに気づかなかったのか、甚だ疑問ではあるか、かといって今さら、解約することなんてできるはずもなく、お揃いのスマホを仲良く買いに行った恋人同士みたいな構図ができあがってしまった。

 新しいスマホを手に入れた嬉しさから、駿介になにが食べたいか聞かれ、嬉しそうに「オムライス」と答えてしまった自分が恨めしい。店に入って、なに食べようかな、なんて呑気に考えて、駿介がそれを注文したときに、初めてこの光景がおかしいことに気がついた。

(気づくの遅すぎでしょ……)

 本当に、自分でもびっくりする。浮かれすぎて、今の状況に気づくのが遅くなった。

 ちらり、千真は目の前で買ったばかりのスマホをいじる駿介に視線を向ける。
 千真のタイプではないけれど、駿介もそれなりに人気があるのは知っている。同じ経理部で、役付ではないが、仕事ができて、ほかの部署の手伝いに行っているのも見たことがある。旭とは幼なじみで仲がいいらしく、ふたりでいるのをよく見かける。
 ふたり並んだ画像が社内で拡散され、騒ぎになったこともあるらしいが、それはまだ千真が勤める前のことなので、詳しくは判らない。
 千真のタイプではないのだが。

 そういえば、とようやくそこで、千真は店内の女性がチラチラとこちらを見ていることに気がついた。
 女性の視線の先には、千真の目の前でスマホと戦う駿介がいて、その熱い視線に混じった冷たい視線に、悪寒がする。せめて、妹だと勘違いしてくれればいいのに、と視線を送ってくる女性に念を送るも、当然、そんなものが通じるはずもなく、ウエイトレスがオムライスを運んできた。

 気にするだけ、無駄かもしれない。刺さる視線が気になるが、千真は手を合わせてスプーンを取り、湯気の昇るトマトソースオムライスをひとさじ掬ったところで、目の前のキノコたっぷりのオムライスにかかっているデミグラスソースの匂いが届いた。トマトソースを食べたかったけれど、匂いを嗅いだらデミグラスソースも食べたくなってきた。
 千真は無意識に、駿介が食べようとしているキノコたっぷりのオムライスを凝視してしまい、それに気づいた駿介が、ひとさじ掬ったスプーンを、ほら、と千真の口元に差し出した。

「な、なんですか?」

「そんな顔で見られたら、食うに食えねぇっつの。いいから、食え」

 ほら、とさらにスプーンが千真の口に近づいてきて、思わず、パクリとそれを咥えた。

 ああ、やっぱり美味しい。頬に手を添えて、もぐもぐと満足気に咀嚼する千真を見つめ、駿介も口元を綻ばす。

「美味いか?」

「おいひぃでふ〰〰」

 千真のその幸せそうな顔をもっと見たくなり、駿介はまた、ひとさじ掬って千真の前に差し出す。
 その光景に躊躇していたのも3回目までで、4回目以降は慣れたものだった。

 結局、駿介のオムライスを半分以上食べてしまうこととなり、千真のオムライスも仲良く半分こして食べている姿がバカップルにしか見えないということに気づいたのは、昼食後、映画を立て続けに3本も見て、夕食まで一緒に食べたあとに帰宅してからだった。