花より男子/ラスト・チャンス(1)


「うわぁ。つくし、すっごいキレーイ!」

 純白のドレスに身を包んだつくしを見て、滋はそう歓喜の声を上げた。

「本当にきれいよ、つくし」

「馬子にも衣装ってヤツですかね」

 無二の親友である優紀、そして一つ下の後輩である桜子も、滋に続いて口々にそう言う。

 4年越しの想いを成就させ、今日、晴れてつくしはかねてからの恋人である司の妻となるべく結婚式を挙げる。その結婚式に参列すべく祝いに駆けつけてくれた友人たちに、ありがとう、と笑みを見せはするものの、そのつくしの笑みの下にはどこかかげりが見られ。

「どうかしたの、つくし? 何だか浮かない表情だけど」

 きょとん、とした表情で、優紀は問う。すると滋によって、バシっと素早く肩を叩かれた。

「バッカねぇ、優紀ったら。嬉しくって仕方がないって表情じゃないの!」

「緊張してるんですか? らしくないですよ」

 そうして桜子も、腕を組みながらそう言う。はは、と苦笑いを溢しながら、つくしは胸につかえて自身をひどく悩ませている原因を紡ぎ始めた。

「よく、わからないの。ただ、何て言えばいいのかわからないけど。すごく、不安で……」

「不安?」

 今から大好きな人と結婚式を挙げようという人間が、一体何を言うのか、と言わんばかりの表情で、三人はつくしを見つめている。

「道明寺さんと結婚するのが、不安なの?」

 下がり眉を一層下げた優紀が、訝しげにつくしの顔を覗き込む。ううん、と首を横に振り、つくしは窓際に立った。

「道明寺とのことじゃなくて。不安……っていうか、何なんだろう。すごく、モヤモヤした感じ」

 空は、どこまでも澄んでいて。まるで、今日結婚する二人を祝福してくれているかのように青い。この言いようのない不安は、一体何なのか。

「マリッジブルーってヤツじゃないですか? 今までとは生活が180度違ってくるんですもの。仕方ないと思いますよ」

「そう、か。……そうだよね」

 桜子の言葉に、ふ、と口元を綻ばせ、つくしが再度空を仰ぐと、牧野、とドアをノックする音と共に声が聞こえ、それに反応して、はい、とつくしは返事をした。そうした後で、ゆっくりとドアが開かれる。

「ひゃー。よく化けたなー」

「そうしてると、女に見えるぜ」

「うっさいよ」

 褒めに来たのか貶しに来たのか、そこには見事に正装したあきらと総二郎の姿があり。懐かしい顔触れに、つくしの顔が緩む。

「類は? 一緒じゃないの?」

 あきらと総二郎、それから花沢類。きっと三人で一緒に来ると思っていたのに、そこには二人の姿しかなくて。

「類なら、仕事が終わらなかったらしくて、10時過ぎの飛行機に乗るとか言ってたぜ。式にはギリギリ間に合うと思うって言ってたから、式前に会う時間はないだろうけど」

「そっか」

 式前に会いたかったな、なんて、口が裂けても言えない。

 ずっと、類はつくしと司を見守ってきてくれた。仕事でイタリア行きが決まってからも、小忠実に連絡してくれて。きっと類がいなければ、今日という日を迎えられなかったかもしれない。
 だからこそ、式の前にちゃんとありがとうを伝えておきたかったのに。ギリギリに着くのでは、仕方がない。

 ふぅ、とつくしが息を吐き出すと、何から廊下から騒ぎが聞こえ始めた。何だろう、とあきらがドアを開けようとした刹那、逆の力で勢いよくドアが開かれる。

「テレビつけろ、テレビ」

「は?」

「いいから、早くしろ」

 司は部屋に入るなり、テレビの前に立って電源を入れた。あきらと総二郎は顔を見合わせ、首を傾げる。そんな司に、つくしも訝しげに声をかけた。

「ち、ちょっと、どうみょう……」

「類が死んだ」

「――…え?」

 瞬間、つくしは自身の耳を疑った。
 呆気なく、司に言われた台詞。冗談にしては性質が悪すぎる、とつくしは怒りに任せて声を張り上げようとし、できなくなってしまった。

 テレビに表示されていた『ルイ・ハナザワ』という見慣れた名前が、司の言葉が事実だと告げていたからだった。

「ただ今、生存者の確認を急いでおりますが……」

 淡々と紡がれる、アナウンサーの言葉。海に浮かんだ、飛行機の残骸。

「おい、司。何の冗談だよ、これ」

「……」

 あきらの言葉に司は何も答えず、ただ黙ってテレビを凝視していた。

 類が乗っていたであろう飛行機が、エンジントラブルで沈没。生存者は今のところおらず、それに乗っていたとされる乗客者リストの中に、確かにルイ・ハナザワの文字があった。

「類が、死んだ?」

 ぐらり、とつくしの視界が揺らぐ。それと同時のつくしの足の力が抜け、その場に倒れ込みそうになるのを総二郎に支えられた。

「しっかりしろ、牧野。こんな、名前だけで……勝手に、類を殺すんじゃねぇよ」

 確かに、類が死んだのを確認したわけではない。だがテレビに表示されている乗客者リストに、確かに類の名前がある。

 つくしが感じていた、言いようのない不安。その正体は、これだったのかもしれない。類に、二度と会えなくなる。
 類がこの世からいなくなるなんて、想像もしていなかった。

「だめだ。携帯も繋がらねぇ」

 パタン、と総二郎は携帯を閉じる。そうしてつくしの肩を支える手に、ぐ、と力を入れた。

「……つーことだ。今日、類は来ない」

 ぷち、とテレビを消して、司はゆっくりとつくしを向いた。

「そろそろ式が始まる。行くぞ」

「ち、ちょっと待ってよ」

 総二郎に支えられたまま、つくしは顔を上げる。

「類が死んだっていうのに、このまま結婚式を続ける気?」

「ああ、そうだ」

「――…頭おかしいんじゃないの?」

 つくしは目に涙を溜めながら、きっ、と司を睨んだ。

「こんな状況で、あんた何考えてんの!?」

「俺らにはどうすることもできねぇだろ?」

「そういう問題じゃない!」

「じゃ、どういう問題だ?」

 総二郎に支えられたままのつくしの腕を、司は無理に掴む。

「俺たちが結婚を取り止めたら、類は生き返るのか?」

「……っ」

「そんなことしたって、類が喜ぶわけねぇだろ」

 類が死んだという現実を、受け入れられなくて。崩れるように、つくしはその場に膝をついた。

「俺たちの結婚式のために、色んな国から人が集まってる。今更、延期にするのは無理だ」

 膝をついたつくしに視線を合わせるように、司は膝を曲げた。

「このまま結婚式を挙げるか、それができないなら、別れるしかねぇ。二つに一つだ。どうする、牧野?」

「ど、どうするって……」

「おまえが選べ。俺は、おまえに従ってやる」

 司の言わんとすることも、わかっているつもりだ。今日のために、わざわざ遠くの国から祝いに駆けつけてくれた人だっている。暇な人ばかりではないのだ。延期にするのは、皆無に等しいだろう。そうしてそれを、ようやく説得した司の母・楓も許してはくれないだろうから。

 かといって、類が死んだと聞かされた今、平気な顔をしてバージンロードを歩けるほど、つくしもできた人間ではない。

「……無理だよ、道明寺」

 ぐ、とつくしは拳を握る。

「こんな心境で……、あたし、あんたの隣には……立てない」

 類が日本に向かっていたのは、他でもないつくしと司の結婚式に出席するためだった。今日、司と結婚式を挙げようとしていなければ、類は死なずにすんだかもしれない。
 そう思ったら、尚更、司の隣にはいれなくて。

 しんと静まり返った室内で、ただ誰かの息を飲む音だけが聞こえていた。司は立ち上がり、ふぅ、と息を吐いてネクタイを緩める。

「総二郎、あきら」

「え?」

 この状況で不意に声をかけられ、総二郎とあきらは、目を丸くした。

「今からババアに、花嫁に逃げられたって説明してくる」

「司……」

「牧野を、頼む」

 ふ、と口元を綻ばせ、司は二人につくしを託して部屋を後にした。あきらは総二郎と目を合わし、重く頷いてからつくしの手を取る。

「行くぞ、牧野」

「い、行くって、でも……」

「いーから! このままここにいたら、抜け出せなくなる」

「……うん」

 総二郎とあきらの手を取り、つくしは立ち上がる。そうして優紀と桜子、それから滋に目配せをして、二人と共に駆け出していったのだった。