花より男子/ラスト・チャンス(2)


 さー、と風がつくしの間を吹き抜けていく。
 類との思い出の場所で、つくしは空を仰いだ。

「ちょっとだけ、1人にしてくれない?」

 総二郎とあきらに背を向けたまま、つくしは声をかける。
 2人は顔を見合わせて、軽くため息を吐いた。

「類のことは、俺たちももう少し調べてみるから」

「早まるんじゃねぇぞ。判ったな?」

 2人の足音が遠くなり、つくしはそのままうずくまるように顔を伏せた。

 類が死んだ、なんて。
 そんなの、どうしたって信じられない。
 なにかの間違いであってほしい、と切に願う。

 司の用意してくれた、純白のウエディングドレス。
 まさかこの格好でこの場所に来るなんて、想像もしていなかった。

 類との思い出がつまった、非常階段。
 ここに来れば、類がいる気がした。

「……類」

 ポロポロと溢れ出す涙を、つくしは止めることができなくて。
 きっと高いであろうウエディングドレスを、つくしの涙が段々と湿らせていく。

 いつだって、つくしを支えてくれていた類。
 その類がいなくなってしまったら、つくしはどうなってしまうのだろう。

 声が聞きたい。
 顔が見たい。
 そばに……いてほしい。

 死んでしまったら、そのどれも叶えることはできなくて。

 どうして、今日だったのだろう。
 今日結婚式を計画していなければ、類が飛行機に乗ることもなかった。
 招待状を出していなければ、類が死ぬことはなかったのに。

 たら、れば、を言い出せば限りがないと判っているのに、思わずにはいられなくて。
 今ごろきっと、司は1人で大変な思いをしているのだろう、と申し訳なくなりながらも、脳裏から類が離れることはなかった。

 結婚式直前でつくしは逃げ出してしまったわけなのだから、つくしが文句を言われるのは当然だと思う。
 だが結果、司がその罰を受けている。

 事故が起きなければ、あのまま司と結婚しているはずだった。
 幸せになるはずだったのに。

 自分の手で、その幸せを逃がしてしまった。



「驚いた。こんなところに花嫁がいるなんて思わなかったな」

 不意に頭上から響いた声に、つくしは思わず顔を上げた。

「逃げてきちゃったの? やっぱり、牧野は一筋縄じゃいかないね」

 これは、夢なのだろうか。
 つくしの目の前にいるのは、確かに花沢類そのもので。

「あ、足は?」

「足?」

「うん。足、ある?」

 思わず、つくしは類の両足を擦った。
 そこには、間違いなく足があって。

「すげ。牧野に襲われてる、俺」

「……」

 そう言っておどけているのも、類で。
 一瞬にして、涙が止まってしまった。

「な、な、な……?」

「うん?」

「なんで、生きてるの?」

「……」

 つくしの言葉に、類は目を丸くする。
 それから、ふ、と吹き出して笑顔を見せた。

「事故のこと? 知ってたんだ?」

「だ、だって……」

「俺、飛行機に乗ってなかったんだ」

「え?」

 ウエディングドレスを踏まないように気を遣いながら、類はつくしの目の前に座る。

「本当に、すごく今さらなんだけど。牧野と司の結婚式に、やっぱり抵抗があって。空港で、どうしようかなって悩んでたら、たまたま、急いで日本に行きたいっていう人がいてさ。その人と、航空券を交換したんだ」

「……」

「その人が乗るはずだったのは、俺が乗ろうと思ってた飛行機の1つあとの便でね。搭乗するまで、ずっと考えてたんだけど。親友の結婚式に私情を挟んで欠席するなんて、やっぱりよくないな、と思って」

 優しく、微笑みながら類の口から言葉が紡がれる。
 つくしは呆然と、それを聞いていた。

「予定してた便に乗ってれば、間違いなく俺は死んでた。事故のこと聞いて、神さまって本当にいるのかなって思ったよ。ちゃんと2人を祝福しろってことだったんだろうなって。でも式場に行く前に、どうしてもここに……牧野との思い出の場所に来て、気持ちを整理したかったんだ」

「……」

 死んだと思っていた類が、生きていて。
 今、目の前にいる。

 先ほどまでの絶望感が、今は喜びに変わっていて。
 涙が溢れ出すと同時、つくしは類の胸の中に飛び込んでいた。

「バカっ!!」

 つくしは、ぎゅぅ、と手に力を込めた。

「本当に、死んだと……っ」

「……ごめん」

 言って、類はつくしの背中に手を回す。

「類のせいで、私……、道明寺とも、結婚できなくなったんだから!」

「……そうなの?」

「そうだよっ」

 すん、と鼻を鳴らしながら、つくしは類から離れた。
 流した涙のせいで、化粧も崩れてボロボロである。

「類が死んだって聞いて、平然と結婚式なんて……私には無理だっつーのっ」

「……ありがと」

 くす、と笑んで、類はつくしの額に唇を寄せた。

「でも、結婚できなくなったってのは大袈裟じゃない?」

「だって、道明寺にそう言われたんだもん」

「司に?」

 どうにも納得できない、というふうに、類は目を丸くする。
 頷いてから、つくしは類から視線を外した。

「延期にはできない。もし今結婚しないなら、別れるしかないって」

「……それで、別れたの?」

「うん、たぶん」

「……」

 はっきりと、別れよう、と口にしたわけではないけれど、つくしが式場から逃げ出したのは、そういう結果になることを承諾した上でのことである。

 司にはきっと、つくしがどういう答えを出すのか判っていたのかもしれない。
 だからこそ、あのとき、あえてつくしに類の『死』を知らせたのだろう。

「それって、さ」

 類はつくしの首に手を回し、こつん、と額を合わせた。

「俺、すっごい期待しちゃうんだけど?」

 言葉の意味を察し、瞬時につくしの頬が紅潮していく。

「牧野のこと、好きでいてもいいの? ……なんて、愚問かな」

 ふわり、と包み込むように、類はつくしを抱き締めた。

「類……」

「しばらく、このままでいさせて」

 類の鼓動が、つくしに響いて。
 類が確かに生きていると実感した瞬間、つくしの視界が揺らいでいった。

 類の背中に自ずと手を回し、ぎゅ、と力を入れる。
 この腕の温もりがなくなるなんて、考えられない。

 きっと、問題は山積みとして残っているだろうと思う。
 だが今は、それよりも類が生きていたことでいっぱいいっぱいで。

 ほかにはなにも、考えられなかった。


花より男子/ラスト・チャンス■END