花より男子/シロツメクサ(9)
「おーい。類くーん」
学園の門を出ようとした類を呼び止める声が聞こえ、類は足を止めた。
「ひっさしぶり~。元気してたぁ?」
「……どうも」
馴れ馴れしく触れてくる滋に、類は少しばかり面倒そうな表情をする。軽く会釈をして先を急ごうとした類の服を滋が掴み、類は足を止められた。
「類くんてカッコいいのに、その愛想のせいで絶対に人生、損してるよね~。もうちょっと、こう笑えないかな~?」
「楽しくもないのに、笑えって方が無理じゃない?」
変な顔をして見せる滋に、類は深くため息を吐く。まったく、厄介な女に捕まってしまったと言わんばかりの表情だ。
「牧野に用があるんじゃないの? さっきまで非常階段にいたけど」
「つくしにも用はあるんだけど、類くんにも頼みがあるのよ」
「俺?」
うん、と大きく頷いて、滋はようやく、掴んでいた類の服を離した。
「ニッシーの誕生日、つくしをパートナーに誘ってくれないかな?」
「……パートナー?」
言われて、類はしばし考える。
「パートナーって、何?」
「へ? 類くん、誘われてないの? ニッシーの誕生パーティ、今年はパートナー同伴でないとだめなんだって」
「招待状はもらったけど、開けてない」
「……。類くんて、大物だね」
「どーも」
褒めたわけではないのだが、と思ったが、滋は何も言わずに類を見据えていた。以前、つくしが言っていた台詞が思い出される。
――あたしがボーッとできるんです。その人と一緒にいると。
今ならその言葉の意味がよくわかるし、納得もできる。
類に恋愛感情を抱いているわけではないが、類のペースに心が和む。きっとつくしの言っていたのは、こういうことなのだろう。
「一人で行くつもりだったんなら、つくしをパートナーにしてあげてよ。ね?」
「別にいいけど。どうせ、牧野と一緒に行こうと思ってたし」
「え? つくしと一緒に行く約束してた?」
「そういうわけじゃないけど」
どうせつくしのことだから、今年も行かないと言うだろうことは目に見えていた。だがつくしと一緒に行けるのは、今年までなのである。
総二郎の家に向かう途中、つくしの家に寄ってから行こうと思っていた。
「っていうか、何であんたがわざわざ俺に頼みに来るの? 司に頼まれた?」
「頼まれたわけじゃないけど、あたしが無理に司のパートナーにしてもらったからね。そのお詫び」
「え?」
類は、大きく目を見開いて滋を見やった。
「司、来れるの?」
「うん。あたしと一緒に行くの」
あれ、と類の頭の中に、非常階段でのつくしとの会話が思い出される。確かに、あのときのつくしは上の空ではあったが。
つくしの様子から、司は来れないと類は判断した。いや、まだその方がよかったかもしれない。
行けるのなら何故、つくしではなく滋をパートナーに選んだのだろう。滋は無理にと言っているが、断ろうと思えばできたのではないだろうか。
「今から、牧野にそれを言いに行くの?」
「うん」
「……俺も行く」
「そう? じゃ、一緒に行こ♪」
つくしは、司が総二郎の誕生パーティには来れないと思っているはずである。その司が、滋と一緒にパーティに行くと知ったら。涙腺が緩んでいる今日なら、また泣いてしまうのではないだろうか。そうなる可能性があるつくしを、放っておくことはできなくて。
滋とともに、また構内へと足を向けるのだった。
◇ ◇ ◇
「なぁ、総二郎?」
「ん?」
あきらに声をかけられて、総二郎は顔を上げた。
「牧野が言ってたこと、本当か? 優紀ちゃんの」
「ああ、まぁな」
軽く頷いて、総二郎はまたテーブルに顔を伏せる。
「そんな軽く言うことか? おまえ、そんな軽はずみなこと……」
「本当にな」
ふ、と自虐的に笑い、総二郎は顔をテーブルに押しつけたまま頭を動かしてあきらを見た。
「俺にも、よくわかんねぇんだよ。ただ、優紀ちゃんの結納を見過ごせなくて……」
「自分のエゴのために、優紀ちゃんの人生を棒に振らせるつもりか?」
「……」
「今ならまだ修正が効く。優紀ちゃんの相手に、ちゃんと謝罪して……」
「うるせえな」
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がり、総二郎はきつくあきらを睨みつける。
「俺だって、どうすりゃいいのかわかんねぇんだよ」
「……総二郎」
近くにあった椅子を蹴り飛ばし、総二郎はイラついたままあきらに背中を向けて去って行った。
あんなにイラついて物に当たるなんて、総二郎らしくない。
言葉通り、総二郎にもどうすればいいのかわからないのだろう。優紀の結納を、放っておけなくて。無闇に手を差し伸べたところで、総二郎にも近い将来、婚約者が生まれる身だ。
そういう立場にありながら、それでも優紀の手を引かずにはいられなくて。
しまったな、とあきらは頭を抱えた。
「……今の、西門さん?」
いつの間にかそこにいたつくしが、あきらの隣の椅子を引きながらそう問う。
「ビックリ、道明寺みたい。あんな西門さん、初めて見た。ケンカでもしたの?」
「あー……、ちょっとな」
はは、と苦笑しながら、あきらがため息を吐く。
「ちゃんと仲直りしなよ? F4が分裂してるのなんて、もう見たくないから」
そう言って笑うつくしは、とても落ち着いて見えるのに。その仮面の下には、いつかの光景を思い出しているのだろう。F4分裂という危機に直面した際の、あの光景を。
「司からは連絡あったのか? 総二郎の誕生日、どうするって?」
気分を切り替えるように、あきらがそう切り出す。
「あったけど。やっぱり、忙しいって」
「じゃあ、類は?」
「誘われてもないよ」
変なの、と口元に笑みを零してから、つくしは少しだけ俯いた。
「よし。じゃ決まり」
「え?」
ぽんぽん、とつくしの頭を撫でて、あきらが優しくつくしを見つめる。
「総二郎の誕生パーティ、俺と一緒に行こうぜ?」
そう言って手を差し出したあきらを、つくしは驚いた面持ちで見た。それから、ふ、と笑い、その手を取る。
「仕方ないからね。付き合ってあげてもいいよ」
「おいおい。言っとくけどなぁ、牧野。おまえじゃなくたって、俺と行きたいっていう女は……」
「はいはい、わかってますよ。なんたって、F4の美作あきらさんですからね。一緒に行けて、光栄ですよ」
「……」
にっこりと微笑んであきらを見つめるつくしに、あきらは、ふぅ、と安堵の息を漏らす。
「牧野、睫毛ついてる」
「え? どこ?」
「取ってやるから、ちょっと待て」
あきらの手が、そっとつくしの頬を掠める。どきん、と胸が鳴って、つくしは眉根を寄せながら目を瞑った。
頬に、優しく添えるようにあきらの手が触れていて。あきらの指が、つくしの目元をなぞるように動く。
いつになく、つくしの胸は躍ってしまった。
「ま、まだ?」
「もうちょい」
胸の高鳴りに耐えられなくなって、つくしはあきらを急かした。その刹那。
「わっ!?」
あきらの声とともに頬に触れていた手が離れて、つくしははっとして目を開けた。
「は、花沢類……!?」
「何やってンの?」
つくしの頬に触れていた腕を類にきつく掴まれたまま、じろ、とあきらは睨まれる。
「睫毛を取ってやってたんだよ。別に、類に睨まれるようなことはしてないぜ?」
な、と同意を求められるようにあきらに見られて、思わずつくしは頷いた。
「そ、そうだよ、花沢類。一体、急にどうしたの?」
「……」
あきらの腕を掴む類の手が緩んで、やっとあきらは腕の自由を取り戻した。はぁ、とため息を吐いて、類を見据える。大方、遠目にはあきらがつくしにキスをしているように見えたのだろう。それで慌てて、といったところだろうか。
「ごめん、あきら」
「……ああ」
どうかしている。あきらがつくしに手を出すなんて、ありえないのに。F4の中で一番友達思いの、あきらが。
それなのに、あきらがつくしにキスを迫っているように見えて。それが先日、あきらがつくしと肩を抱いて歩いていた光景を思い出させて。
気が付けば、つくしの頬に触れるあきらの腕を掴んでいた。
大切な仲間を信じていないような自分の行動に、類は驚きを隠せなかった。
自分でも信じられない。つくしが関わると、本当に感情が激しくなる。考えるよりも先に、身体が動いてしまって。つくしの身体に誰かが触れることが、許せないなんて。
「つっくし~♪」
「滋さん!?」
邪な感情に活を入れるような滋の間の抜けた声に、類は我に返った。
「久しぶり~♪」
「どうしたんですか、急に?」
つくしが物怖じしている風な感じには一切触れようとはせず、滋はつくしに抱きつく。女同士ならこんな場所で抱き合っても不自然ではないのか、と類は今更ながらなことを思ってしまった。
「実はさ。つくしに、申し訳ないお願いと報告があって」
「申し訳ないお願いと報告?」
きょとん、と目を丸くして、つくしは次に紡がれる滋の言葉を待った。
「ニッシーの誕生日、司をあたしに貸して?」
「え?」
「その日だけ、あたしを司のパートナーにしてほしいの」
つくしの手をきつく握り、滋は真剣につくしを見つめた。こういうふうに一生懸命お願いされて、つくしに断れるわけはないのに。
いや、それよりも。
(忙しく、ないんじゃん)
確かに、司の口から直接来れないと聞いたわけではない。つくしが一方的に忙しいと決めつけて、来れないと思い込んだ。
だが、それならそれで言ってくれてもいいのではないだろうか。
(そうさせなかったのは、あたし……か)
は、と短く、つくしは息を吐き出す。司に余計なことを言われないように、急いでしゃべった結果がこれなのであった。
「ねぇ。だめかな、つくし?」
不意に顔を覗き込まれて、つくしははっとした。それから少し滋から離れて、視線を落とす。
「貸すも貸さないも、別に道明寺はあたしの所有物じゃないし。あいつがいいって言えば、いいんじゃないですか?」
言ってしまったあとで、つくしは、しまったな、と思った。今のは、少々冷たい言い方だったかもしれない。別に、怒っているわけではないのに。
「そ、それに、あたしは美作さんと行く約束したし。道明寺なんか、熨斗つけてくれてやりますよ」
「え?」
落ち込んだように眉根を寄せた滋に、つくしは慌てて言葉を続けた。それに反応したのは滋ではなく、類だった。
「牧野、あきらと一緒に行くの?」
「へ? う、うん。だめ?」
そこでだめと言える立場にいない自分が、すごく残念に思えた。司がつくしの所有物ではないのと同様、つくしは類の所有物ではない。
ましてや類は、司とは違ってつくしと付き合っているわけでもない。そういうふうに聞かれても、だめと答えるわけにはいかないのだ。
「たった今、誘ったんだよ。司にも類にも誘われてねぇって言うから」
「き、気を遣ってもらっちゃった」
はは、とつくしは笑いながら類を見るが。じっ、とあきらは睨むように類を見据えていて。類は、視線を下へ落としていた。
総二郎の誕生パーティがパートナー同伴だと知っていたら、あのとき、司からの電話を切った直後に誘っていたのに。それを知らなかったばっかりに、あきらに先を越されてしまった。あきらは、一体……。
考えながら顔を上げた類は、あきらと視線がぶつかった。挑むように、あきらはまっすぐに類を見ている。
類は思わず眉間に皺を寄せて、不自然に口元に笑みを浮かべた。
「パートナー、譲ってやろうか?」
「え?」
「や、やめてよ、美作さんっ」
瞬間、勢いで頷いてしまいそうになった類を遮るように、つくしが言葉を被せてきた。
「花沢類には、こ、婚約者が、いるんだから」
類と視線を合わせないように言いながら、段々と語尾が弱くなる。確認したわけではないが、類に見つめられている気がして。つくしは、類の方を向くことができなかった。
(婚約者、ね)
思い、はぁ、と深く類はため息を吐く。その言葉が、今の類にとても重く伸しかかっていて。
どんなに類が芹香の存在を忘れようとしていても、周囲がそれを思い出させる。つくしだけを想い羽を伸ばしていられるときは過ぎてしまったのだ、と実感せざるをえなかった。
「類くんも婚約したんだ? 実はね、あたしもなの」
努めて明るく、滋はそう言った。え、と目を大きく見開いて、つくしは滋を見つめる。
「これがね、報告。あたし、4月になったら結婚するの」
滋の表情は、確かに笑っているのに。心が泣いているのが、痛いほどつくしに伝わった。
「だからね、これが本当に最後なの。最後の思い出作りに、司と恋人同士の真似がしてみたかったんだ」
今にも泣き出しそうな目で、つくしはそう言われてしまって。
つくしには、何も言うことができなかった。