花より男子/シロツメクサ(10)


「抹茶ミルク飲みたい」

「……」

 不意に口を開いた類に、あきらと滋、そしてつくしは目を丸くして。それから同時に、噴き出した。

「類くんて、本当マイペースだよねぇ」

「ま、らしいけどな」

 滋とあきらが、そう言って顔を見合わせて笑った。

「総二郎、帰ったの?」

「ああ」

 少しばつが悪そうに顔を伏せて、あきらが頷く。ふぅん、と言いながら、類は三人に背を向けた。

「西門さんの家に行くの?」

「うん。牧野も行く?」

 つくしが聞くと、そう誘われて。少し考えてから、つくしは首を横に振った。

「せっかくだけど、遠慮しとく。また今度ね」

「そ? じゃあね」

「ん。バイバイ」

 手を振りながら、つくしは黙って類の背中を見つめていた。
 必要以上にそばにいてしまったら、きっと離れられなくなる。極力、一緒にいることを避けなければならない。
 そうすることが、今のつくしのできる最善の策なのである。

「……なんか、さ」

 滋が、ぽつりと口を開いた。

「つくしが類くんの背中を見つめる目って、愛情を感じる気がするんだけど」

「え?」

 言われて、ドキっとしてしまった。

「あ、いや……、違うの。ごめん、そういう意味じゃなくて……」

「……」

 慌てて自分の言葉を訂正しようと滋は試みるが。つくしは心を見透かされているようで、罪悪感を覚えてしまった。
 司を好きだったのに、つくしのことを考えて身を引いてくれた滋。その滋を裏切るような、類への恋慕。

 確かに、あのときは司を好きだったし、今でもその気持ちは変わっていない。類に対する気持ちも、決して変わったわけではなく。
 ただ、気付いてしまっただけなのだ。自分が一番必要としている人間の存在に。

「初恋は特別なんだよ」

 つくしの気持ちを落ち着かせるように、あきらがつくしの頭を撫でる。

「なぁ、牧野?」

「……」

 見下ろすあきらの瞳が、頷けと言っている気がして。つくしは戸惑いながらも、うん、と首を縦に振った。

「そうだよね〜。あたしも、やっぱり司は特別だしさー。気持ちはわかるわ」

 つくしに向ける、眩しいくらいの滋の笑顔が胸に突き刺さる。言えない。絶対に、言うわけにはいかない。こんな許されない想いを、口にするわけには。

 きつく目を閉じた瞬間、つくしは手に温もりを感じた。はっとして顔を上げれば、寄り添うように立っていたあきらが、滋からは見えないように手を繋いでくれていて。
 あきらの手をこんなにも温かいと感じたことは、今まで一度もなかった。いつもつくしを支えてくれていたのは、類だったのに。

 誰かに支えられていることの温かさがこんなにも心地いいということを、つくしは改めて気付かされてしまった。皆に護られている。
 それがとてもありがたくて、つくしは繋いだ手を握り返した。

「じゃあね、つくし! 当日、楽しみにしてるっ」

「う、うん」

 大きく手を振りながら去っていく滋に、つくしも手を振り返す。反対の手は、変わらずあきらと繋いだままで。どうしたものか、と思いながらも、勇気を出して声をかけてみる。

「あ、あの。美作さん?」

「ん?」

 名前を呼べば、どうした、と言う風に見つめられて。きれいなその顔立ちに、思わず胸がときめいた。
 間近で見ると、やはりF4は皆、端整な目鼻立ちをしている。間近でF4を見ることなんて、そうないのだが。

「そ、その。あの、手……を……」

 離して、と言いづらくなり、つくしは言い淀む。だがつくしの様子からそれを察し、ああ、と気付いたようにあきらは手を離してくれた。

「悪かったな、急に。おまえが倒れるんじゃないかと思って」

「……」

 それまであきらの温もりに包まれていた手を、今度は自分の手で包む。じん、と胸が熱くなり、目が潤んでくるのを感じた。

「優しいね、美作さん」

 それは、正直な気持ちだった。いつだって、つくしに気を遣ってくれて。感謝の気持ちでいっぱいだった。

「今更?」

 つくしの言葉に、あきらは戯けたように笑う。つくしも釣られて、顔を綻ばせた。

「最近のおまえは、情緒不安定みたいだから。おまえの安定剤だった類も、今じゃ役立たずだしな」

「や、役立たずって……」

「違うか? 今じゃ、おまえの不安材料でしかないだろ?」

「……」

 100%違うと言い切れない自分が、情けない。類に頼り、支えられていたはずだったのに。類が婚約した途端、それがなくなってしまうなんて。
 なんてひどく最低な女なんだろう、と卑下するように思う。

「悪い。そんな表情させるつもりじゃなかった」

 ぽん、とあきらの大きな手が、つくしの頭を包む。一体どういう表情をしていたのだろう、と思うが、自分ではわからない。

「今日もバイトか?」

「……うん。しっかり働いて、稼がなきゃね」

 無理に破顔して、つくしは笑う。それが余計に切なくなるなんて、つくしは気付いていないのだろう。
 つくしの頭を撫でながら、あきらは、そうだな、と口元を緩ませた。

「ぶっ倒れない程度にしとけよ? 何かあったら、俺に連絡してもいいから」

「うん。ありがとう、美作さん」

「どういたしまして。じゃあパーティ当日、10時に迎えに来るから。ちゃんと準備して待ってろよ」

「はいはい」

 そう言って、手を振ってつくしと別れて。つくしが見えなくなったところで、さてと、とあきらは携帯を取り出した。

◇ ◇ ◇


 12月3日、会えますか? 優紀から届いたそのメールに、一言、ごめんとだけ返信をする。ぱたん、と携帯を閉じて、総二郎は大きく息を吐き出した。

「怒らないの?」

「何が?」

 声をかけられ、総二郎は室内で抹茶を啜る類に視線を向ける。類は点ててもらったお茶を飲み干して、総二郎の顔色を窺うようにしていた。

「俺の点てた芸術に異物を混ぜるな。そう、言われる気がしたんだけどね」

 いつもなら、抹茶に牛乳を入れるなんて、言語道断、とでも言わんばかりに怒られるのだが。今日に限っては、そういう覇気を感じられず。異例そうな顔付きで、類は総二郎を見やった。

「言って聞いた例があるか、おまえ?」

「……ないね」

 総二郎の言葉に口元を緩めて、類は空になった茶碗を畳みの上に置く。

「ちょっと考えごとしてたからな。そこまで気が回らなかった」

「それって、牧野の友達のこと?」

「……」

 何も答えないところを見る限り、恐らく図星なのだろう。

「しんどいね、お互い」

「帰んのか?」

 立ち上がった類に、総二郎が声をかける。うん、と頷いて、類は笑顔を浮かべた。

「美味しかったよ、お茶。ありがとう」

「おう。また来いよ」

「うん」

 茶室の戸を閉めて、類は玄関へ向かう。

 点ててもらったお茶を口にして、少しばかり心が落ち着いた。
 つくしが総二郎の誕生パーティにあきらと一緒に行くと聞いて、さすがに心が乱れてしまった。その心を落ち着かせるために、どうしても総二郎の点てたお茶を飲みたくなって。

「……あれ?」

 西門邸の玄関先をウロウロしている女の姿に、類は首を傾げた。見覚えのある顔だ。あれは確か。

「優紀ちゃん、だっけ?」

「!」

 声をかけられて、慌てて優紀は振り向いた。

「総二郎に用事? 呼んで来ようか?」

「い、いえ、いいんですっ」

 類の申し出を、優紀は思い切り首を横に振って断る。

「ただ、ちょっと……。会えたらいいなって思って来ただけですから。プレゼント、渡したくて……」

「プレゼント? ああ、誕生日の?」

「は、はい」

 手に提げていた小さな紙袋を抱き締めるようにして、優紀は頷く。

「そんなの、当日渡せばいいのに」

「当日は、会えないって言われて……。そ、それで、まだ早いかなって思ったんですけど、もう買っちゃったから、その……」

「……」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め上げた優紀をしばらく見つめ、それから類はゆっくりと口を開いた。

「当日、俺と一緒に総二郎の誕生パーティに行く?」

「……え?」

「俺もよく知らないんだけど、パートナー同伴みたいだから」

「で、でも……」

「行かない?」

「い、行きたいです!」

「じゃ、決まり」

 どうしよう、と迷う暇もなく類に急かされて、優紀は大きく頷く。

「当日、牧野がバイトしてる団子屋の前で待ってて。迎えに行くから」

「は、はいっ」

 言いたいことだけを淡々と告げて、類は優紀に背を向けたのだった。

◇ ◇ ◇


 邸に着き、ベッドに横になって携帯を開く。

 声を聞きたい。思うが、電話をかけることができなくて。類が、はぁ、と大きくため息を吐いた刹那。

「類」

 ノックと同時、部屋の扉が開いて。そこにいた女性の姿に、類は思い切り顔を顰めた。

「……何の用?」

 ベッドに座り、じろり、と睨んでみるが、芹香には何の効果もない。お構いなしに、芹香は類の隣に座って腕を組んだ。

「私、類に謝らなきゃならないことがあって」

「……」

 謝ることしかないんじゃないか、と思う類ではあったが、敢えて何も言わず、類は黙って聞いていた。

「12月3日、私、パパの都合でロンドンに行かなくちゃならなくなったの。だから西門さんの誕生パーティ、出席できそうにないのよ」

「……」

 もともと、芹香を誘う気なんて更々なかった。だが芹香にしてみれば、当然、誘われるだろうと思ってのことなのだろう。運がよかった、のだろうか。

「だから、代わりの人を見つけてほしいんだけど。……牧野つくしは、だめよ?」

「……」

 類の腕に、芹香の爪が食い込んでくる。

「もしも牧野つくしを誘うっていうんなら……。いつだって、殺してあげるから」

「……」

 もちろんその場合、殺されるのはつくしだろう。耽々とした目付きが、それがはったりではないことを意味していた。

「牧野は、あきらと行くから。俺は一緒に行かない」

 自分の言い聞かせるように、類は呟く。嬉しそうに、そう、と微笑んで、芹香は類の頬に手を添えた。

「ごめんなさい、ひどいこと言って。類が牧野つくしを誘うなんて、そんなことありえるはずがないのに」

「……」

 総二郎の誕生パーティがパートナー同伴だと知っていたら、きっと誘っていた。だが知らなかったのは、好都合だったのかもしれない。芹香を前にしてみれば。

「じゃあ、今日は帰るわね。また会いましょ、類」

 言って、芹香は類に唇を寄せる。寸でのところでそれを避け、類は立ち上がった。

「意外と恥ずかしがりやなのね。牧野つくしとは構内で抱き合えるくせに」

「――…っ」

 瞬間、類の目が大きく開かれる。思わず振り向いた類の目に、1枚の写真が留まった。

「バイバイ、類。自分の立場、もっとよく考えてみてね?」

「……」

 類の眼前に差し出され、芹香が立ち去る足音と共にヒラヒラと落ちていく写真。類はしゃがみ込んで、落ちた写真を拾い上げた。
 それは紛れもなく、高等部の非常階段で抱き合った、類とつくしであり。今日撮られたものであるということは、日付を確認するまでもなくわかった。

 類が、つくしに想いを寄せているということは。つくしに、危害が及ぶかもしれないということだ。

「……っ」

 ぎり、と歯を食い縛り、類は写真を握り締める。
 簡単に諦められるくらいなら、とっくに諦めている。諦められないから、苦しんでいるのだ。

 好きでい続けることもできない。嫌いになることなんて、尚更無理なのに。