花より男子/シロツメクサ(12)


「……あたし、やっぱりあんたたちを理解できないわ」

「何が?」

 目を丸くして、あきらはつくしをエスコートしながら問う。

「こんなところで誕生パーティとか、普通の家庭じゃありえないっつーの」

「そーか?」

 それは、決して内輪でするような誕生パーティではなく。女性たちは煌びやかなドレスを身に纏い、男性のエスコートでその美しさが増していた。

 つくしは、ちら、と自分の格好を確認する。派手か地味かと問われれば、それは間違いなく地味の分類に入るドレスで。
 もう少しまともな格好をしてくるべきだっただろうか、とつくしが後悔した矢先。

「心配すんな」

 ぽん、と大きな手で頭を撫でられて、つくしは顔を上げた。

「この会場にいる誰よりも、おまえはきれいだよ」

「……っ」

 一瞬にして、つくしの頬が赤く染まる。
 躊躇うことなくこういう台詞を言える辺り、やはり女性の扱いが巧いということだろう。お世辞だとわかっていても、言われて悪い気はしない。

「い、いっつもそういうことばっか言って、女の子を騙してるんでしょ? 美作さんのそういう台詞に、一体何人の女の子が泣いてきたんだか」

「ばーか。俺は、嘘は言わねぇよ」

 どきん、とつくしの胸が躍る。本音だと言われると、それはそれで恥ずかしい。

「あきら」

 声をかけられて、あきらとつくしは揃って振り返った。

「なんだ、牧野も一緒だったのか」

 にこやかに近付いてくる総二郎の隣に、寄り添うようにして立っているのは。長いであろう黒髪を結った、見るからにお嬢様とわかる女性であった。

「一応、紹介しとくな。彼女は白鳥百合さん。今日限定で、俺のパートナーだ」

「まぁ、総二郎さんたら」

 百合と紹介された女性は、上品に笑いながら口を開いた。

「今日限定、だなんて。私は、生涯のパートナーになろうと思っておりますのに」

「ご冗談を」

 百合の言葉を制するように、総二郎が言い返す。

「俺、結婚する気はありませんから」

「待ちます、私」

 にっこりと微笑んだ百合の言葉に、総二郎は軽くため息を吐いた。

「類は?」

 話を変えるように、総二郎がつくしを見てそう切り出す。

「知らないよ。まだ来てないの?」

「おまえ、一緒じゃねぇの?」

「うん。あたしは、美作さんと一緒に来たから」

「え?」

 総二郎は目を丸くして、あきらに視線を移した。

「司は知ってんのか?」

「さぁ。別に、わざわざ言うことでもねぇだろ? 司は滋と来るみたいだし」

「あ?」

 どうにも納得がいかない、というふうな表情を総二郎は向ける。

「じゃあ、類は?」

「花沢類なら、婚約者と……」

「つくし!」

 一緒に来ると思うよ、という言葉とともに名前を呼ばれて、つくしは声の方を向いた。

「ゆぅ……」

(――え?)

 優紀、と親友の名を呼ぼうとして、つくしはそれを躊躇った。自分の目が、信じられない。
 優紀のすぐ隣に、まるでエスコートするように立っているのは、紛れもなく、類だったのである。

「司は?」

 キョロキョロと辺りを見渡して、類はそこに司の姿がないことに気付いた。

「まだ、みたいだけど……。類、なんでおまえ……?」

「え?」

 類の質問に、総二郎は答えるが。類の隣に佇む優紀の姿に、総二郎は戸惑いを隠せなくて。

「……」

 それは、総二郎だけではなかった。同じようにその場にいたあきらや、そしてつくしも。
 まさか、類が優紀を連れてくるなんて、思いもしなかった。

「すごいんですね、誕生パーティって。なんか、テレビで見たことがある人がいっぱいいる」

 優紀は、そんな総二郎たちの様子に気付くふうもなく。珍しそうに、周りを見てそう言うが。
 総二郎は、気が気ではなかった。早く、百合をこの場から遠ざけなくては。そう思い、優紀ちゃん、と声をかけた刹那。

「ニッシー! お誕生日、おっめでと〜♪」

 ひと際明るい声が、会場内に響き渡った。その場にいた全員が、声のした方に視線を向ける。

「声でけぇんだよ、おまえは。もう少しTKOってもんを考えろよな」

「それを言うならTPOでしょ? 相変わらず馬鹿なんだから」

「な!?」

 間違いを正されて真っ赤になる司を尻目に、滋は腕を組んだままグイグイと司を引いて歩いてくる。あれができるのは滋以外にはいないだろう、と誰もが思う。

「みんな、もう揃ってるね〜。もしかして、あたしたちが最後!? やっだー、ごめんね〜。司がさー、少しでも長くあたしと二人でいたいって言うもんだから〜」

「い、言ってねぇだろ、そんなこと」

 顔を真っ赤に染め上げて、司がそう反論する。
 傍から見れば、それはイチャついているようにしか見えなくて。でも、何故だろう。それを自然と受け入れられる自分がいることに、つくしは気付いてしまった。
 以前のように、ヤキモチを妬いたりはしない。そう思えるようになったのは、たぶん――…。

 つくしは、自分の親友の隣に佇む類に視線を向けた。彼は、ふゎ、と退屈そうに、欠伸を一つ。

 どうしてなんて聞けない。何故なんて、聞くわけにはいかない。
 あきらのパートナーになった以上、類がどの女の子を連れていようと、つくしにとやかく言う権利はないのだ。
 だがさすがに、類が優紀と並んでいる姿は……。

「少し、風に当たりに行くか?」

 そっと、つくしの様子を窺うように、あきらがつくしの顔を覗き込んできた。こくん、と頷いて、つくしは促されるようにあきらの手を握る。
 その光景に、ちょっと待てよ、と司が声を上げた。

「何で、あきらが牧野と一緒に行くんだよ?」

「俺が、牧野のパートナーだからだろ?」

「あ?」

 ぐ、とつくしの肩を抱いて言ったあきらに、司は顔を顰める。

「牧野のパートナーは、類だろ?」

「違うよ。俺は、牧野の友達と一緒に来たから」

 司の言葉に、類も優紀の肩を抱く。納得がいかない、と言わんばかりの表情で、司はつくしと類を何度も見比べた。

「どういうことだ、滋?」

「え? ……きゃッ」

 ばっ、と勢いよく腕を振り払い、司は滋を睨む。

「おまえ、類に牧野を連れてくるように頼んだんじゃねぇのかよ!?」

「た、頼んだわよ! でも、もうつくしは、アッキーと行く約束してたから……」

「あぁ!?」

 司は、滋からあきらに視線を移して、ぐっ、と拳を握り締めた。

「あきら、どういうつもりだ?」

「何が?」

「とぼけんな!」

 一段と大きな怒鳴り声が辺りに響いて、つくしは一気に血の気が引いた。原因は――他ならぬ、つくし自身なのだ。

「てめぇ、何を考えてやがる?」

「……」

 あきらの胸倉を掴み、司は地を這うような声色でそう凄む。その瞳は、凍りつきそうなほどに冷たいもので。

「ど、どうみょぅ……ッ」

「俺が牧野と一緒にいるのが、そんなに変かよ?」

「あぁ!?」

 震えながら、それでも司に声をかけようとしたつくしを遮るようにあきらがそう口を開き、自分の胸倉を掴む司の手を払い除ける。

「手ェ出したわけでもねぇのに、友達と一緒にいるのがそんなに変かって聞いてんだよ」

 あくまで冷静に、あきらはそう問い返した。

「仕事仕事でおまえがそばにいなかった間、牧野がどんな想いだったか……。おまえ、考えたことあるか?」

「……ッ!?」

「牧野がどんな苦しみを抱えていたか、おまえ、少しでもいいから考えたことがあるか?」

「……」

 静かに紡がれるあきらの言葉を、司は黙って聞いていた。そしてその言葉は、つくしの心にも深く響いてきて。つくしの目に、涙が滲んだ。

「類」

「え?」

 黙って話を聞いていた類は、不意に司から名前を呼ばれて。きょとん、とした表情で、なに、と返事をした。

「前に電話で言ったこと、覚えてるか?」

「電話で……?」

 言われて、類の脳裏に浮かんだ言葉は。

 ――牧野の誕生日に、俺は……牧野に、プロポーズする。

「……覚えてるよ」

 俯いて、類は軽くため息を吐く。

「あれ、訂正するわ」

「え?」

 驚いて、類が目を丸くすると、牧野、と司はつくしを向き直して、すぅ、と息を大きく吸った。

「結婚しよう」

「……え!?」

 思いがけない司の言葉に、つくしは一瞬、何を言われたのかわからなくなってしまって。それからすぐに言葉の意味を理解して、眉根を寄せた。

「な、何を、急に……」

「急じゃねぇ。ずっと前から、考えてたことだ。おまえの誕生日に、ちゃんと言おうと思ってたんだけど。もうこれ以上、おまえを放っておくわけにもいかねぇし、今言うわ」

 それから先の台詞を、言ってほしくはなくて。それは決して、人前だから恥ずかしい、という理由ではなく。単純に、その場に類がいたからであり。
 でも、言うなと言うことさえ、できなくて。類の目の前でプロポーズされるのを、止めることができなかった。

「一緒に、ニューヨークに来てほしい。俺と結婚して、一緒にニューヨークに住もう」

「……っ」

 司の言葉とともに、その場を駆け出していったのは。

「滋さん!」

 目の前で、自分ではない女性にプロポーズをする司の姿を見たくないと切に願った、滋だった。

「……っ、道明寺!」

 去っていってしまった滋の後ろ姿を見つめ、それからつくしは司を向いた。その瞬間、ぱぁん、と乾いた音が辺りに響く。

「なに考えてんのよ!? 滋さんが道明寺を好きだってこと、知ってたでしょう!? それなのに、どうして……!?」

「滋が俺を好きなのと同じように、俺はおまえが好きなんだよ」

「……」

「そんなの、どうしようもねぇじゃねーか」

 ぐ、と拳に力を入れながら、司は数時間前、この会場に向かう前の出来事を思い返した。

 ――お願い、司。あたしを連れて、逃げて……!!

 泣きながら、司にしがみついてそう懇願する滋に、一時は本気で連れ去ろうかとも考えてしまった。あれほど気の強い滋が泣くのなんて、司が絡んだときだけで。それくらい、司を想ってくれているのだとわかっていたから。だからこそ、その願いを叶えてやりたいと思った。
 でも。

「……」

 あきらと手を取り合うつくしを見ていたら、そんな考えは吹き飛んでしまった。一日でも早く、つくしを手元に置いておきたいという思いが強くなって。つくしの誕生日を、待っている余裕がなくなった。

「今月の28日に迎えにくる。ちゃんと準備しとけよ」

「ち、ちょっと、どうみょぅ……」

 つくしに有無を言わせることなく、司は滋の後を追うように足早に駆けて行った。

 今日別れを切り出そうと思っていた相手に、まさかプロポーズされるなんて。愕然とするつくしを尻目に、ザワザワと会場内はざわついている。
 頭を掻きながら、はぁ、と総二郎は、深く息を吐き出した。それから百合を向き、にっこりと一笑する。

「先に戻っていて下さい。彼らと話をしてから、俺もすぐに戻ります」

「それは、私が一緒だと何か不都合でも?」

「ええ。どうせ俺たちの話もおわかりにならないでしょうし、一緒にいても退屈かと」

「……」

 笑顔を崩すことなく、総二郎は百合を優しく見つめながらそう言った。静かに一礼して、百合は踵を返す。その後ろ姿を見送ってから、ふぅ、と息を吐いて総二郎が口を開いた。

「ったく。人の誕生日に、騒ぎ起こしてんじゃねーよ」

「……ごめん」

「ま、牧野が悪いわけじゃねぇけどな。あいつが我儘なんだよ」

「……」

 きゅ、と唇を噛み締めて、つくしは目を瞑った。そんなつくしの肩を、あきらが優しく抱き寄せる。

「ちょっと外に出ようぜ。外の空気、吸いてぇだろ?」

「……ん」

 俯きながら頷いて、つくしはその身を預けるようにあきらの腕に寄りかかった。まだ、頭が混乱している。

 司は、本気なのだろうか。本気で、つくしをニューヨークに連れていこうと考えているのだろうか。もしそれを断ったら、どうなるだろう。
 ……いや、そもそも、司の中での選択肢は一つしかなくて。つくしが断ることなんて、きっと微塵も考えていないのだろう。

 ――道明寺と別れてもいいですか?
 ――もちろん。

 優しい椿の笑顔が、頭に浮かぶ。司との別れを決意したのは、まだ数時間前のことだった。

◇ ◇ ◇


「滋!」

「きゃ……っ」

 ぐい、と腕を掴まれて、滋は勢いよく司の胸に抱き止められた。滋の背中に、司の荒い鼓動が伝わる。

「滋、俺は……」

「わかってる!」

 司の言葉を遮るように声を上げて、滋は、はぁ、と全身から息を吐き出した。

「わかってるの、司の気持ち。わかってたけど、目の前であんな……、あんなの、見せられたら……」

 つらいよ、と言う絞り出すような滋の声に、司は胸が苦しくなる。思わず両手を回して、力強く滋を抱き締めた。

「悪い、滋……」

「謝らないでよっ。司は何も……悪いことなんて、してないじゃん!」

「おまえを傷付けた」

「……っ!」

「自己満足のためだけに、必要以上におまえを傷付けた。謝る理由には、十分すぎねぇか?」

「ぅ、く……」

 大きな滋の瞳から、負けじと大きな涙がこぼれ落ちる。

 司がつくしを好きだということは、高校のときから知っていた。知っていたのに、どうしても司を忘れられなくて。しつこいのを重々自覚した上で、ずっと司につきまとっていた。
 つくしと遠距離が始まって、毎日のようにそばにいるのがつくしから滋になって。もしかしたらそのうち、滋を見てくれるようになるんじゃないか、なんて低俗な考えが何度頭を過ったか知れない。

 そういう考えが過る度、心の中で何度もつくしに謝罪して。いけないとわかっていながら、道明寺邸に通っていた。
 司が冷たい態度だったなら、すぐに通うのも止めたかもしれない。だが司は。

「優しすぎるよ」

「……」

 止めどなく溢れ出る涙を拭いながら、滋が口を開く。

「放っておいてくれたらいいのに。そうやって優しくするから、諦められないんじゃない」

 仕事であまりに邸にいなかった司だが、それでもたまに家にいるときに滋が来れば、滋をないがしろにするふうもなく。一緒に食事を摂ったり世間話をしてみたり、むしろ以前よりも友好的だった。

「仕方ねぇだろ」

 司は、滋を抱き締める両腕に力を入れる。そうして、短く息を吐いた。

「放っておけねーんだから」

「……」

 ぐぐ、と縛りつけるように、司は滋の身体を自分に密着させる。幾分の隙間もないほどにきつく抱き竦めて、徐に目を閉じた。鼻を掠める滋の髪の匂いに、わずかながら眠気を誘われる。

 ――あたしがアンタを調教してあげる。

 出会いは最悪だった。いきなり人をグーで殴るなんて、つくし以外にはいないと思っていた。
 もしも、つくしよりも先に滋に出会っていたら、今とは違う未来が訪れていただろうか。楓からの弊害もなく、安穏と結婚していたかもしれない。そうすることが宿命だと思っていたから。

 だがそんな宿命の壁を打ち破ってくれたのが、つくしだった。庶民の生活や、庶民の味を教えてくれた。それは、滋との交際では決してえられない、司にとってかけがえのない思い出の一部なのである。だからきっと。

 きっと、遅かれ早かれ、司はつくしに恋をする。その恋の行く末がどうなるかはわからないけれど、司の気持ちは変わらない。
 その想いが、滋をどんなにか傷付けていたとしても。