花より男子/ユキワリソウ(5)


「よかった。サイズ、ぴったりだね」

 花沢家の使用人によって無理矢理ドレスに着替えさせられたつくしを見ながら、類は満足そうに微笑んだ。

「なんでサイズ知って……、じゃなくて、何なの、このドレス!?」

 意味もわからぬまま、つくしはあれよあれよという間に仕立てられてしまって。ようやく、声を発する状況になれたのだ。

「プロム用のドレス。司が結婚したときに、俺が牧野に用意してあげようって思ったんだ」

「……」

 類の優しい心遣いに、つくしは言葉を失くしてしまう。こういうさり気ない優しさが、つくしの目頭を熱くする。

「持ってないでしょ、そういうの? 一枚くらい持っててもいいと思うよ」

「それは、そうだけど」

 類の言うことは最もだが。だからといって、簡単には貰えない。だが今までのように、全面的に拒否するのも気が引ける。

 つい先日から、つくしは類と付き合い始めた。とはいうものの、今までの付き合い方とそう大差なくて。
 唯一の違いと言えば、別れ際に必ずキスをされることだろうか。
 それ以外は、何も変わっていない気がする。バイトが終わる頃、類は迎えに来てくれる。そうしてつくしを家まで送ってくれるのだ。

 それは、今までもそうだった。だから、類と交際を開始したと言ってもつくしは何の違和感もなくすんなり受け入れることができた。

「俺が、牧野にあげたいんだ。言っとくけど、あんたに合わせて作ったからあんたが着なきゃ捨てるだけだよ。それって、もったいないとは思わない?」

「ズルい言い方。っていうか、花沢類の口から、もったいないなんて言葉を聞けるとは思わなかったわ」

「牧野に感化されたんだよ」

 くす、と笑みを溢して、類は以前を振り返る。つくしに出会ってから、F4には色々な変化が訪れた。
 一番変化が大きかったのは司かもしれないが、それと同じくらい類にも変化が見られていた。ずっと、誰かのために何かをするなんて考えたこともなかった。でもいつしか、つくしの喜ぶ表情を見たいと思うようになって。そのためなら、何でもできる気がした。

「じゃあ、貰っとく。ありがと、花沢類」

「うん」

 頬を少しだけ赤らめて、つくしは笑顔を見せた。その表情を見られたのなら、類のしたことは無駄ではなかったと嬉しくなる。

「ドレスのお礼に奢るよ。何か食べに行こ」

「いいよ、別に。大した物じゃないし」

「たまにはいいじゃん。あ、でも、高いものは無理だからね」

「はいはい」

 つくしの言葉に、類は微笑んだ。つくしらしいな、と思う。

「着替えてくるから、待ってて」

 ドレスの裾をふわりと舞わせて、つくしはパタパタとその場を後にした。
 司には悪いと思うけれど、今こうしてつくしといられることが、類には何よりも幸せだった。穏やかに過ぎていく時間が、すごく楽しくて。生まれて初めて、生きる喜びを感じていた。

◇ ◇ ◇


「よぉ、お二人さん」

 街中を歩いていると、後ろからそう声をかけられた。振り向けば、ニヤついた表情の総二郎がいて。

「手ェなんか繋いで、仲良くデート中?」

 それこそ総二郎の言う通り、つくしは類と手を繋いでいたのだが。
 そんなことよりも、先日総二郎に嵌められたことをつくしは思い出して、ずい、と顔を近づけた。

「よくも騙してくれたわね」

 今にも殴りかからんとする勢いで、つくしは総二郎を睨みつける。

「結果、よかったじゃねぇか。後悔してからじゃ遅いんだぜ」

 ぽんぽん、と総二郎の手が、つくしの頭に乗る。確かに、総二郎のおかげと言えばそうなるが。
 つくしには、まだ自信がなかった。本当にこのまま類と婚約してもいいものか、真剣に悩んでいた。

「結婚てのは、本当に好きな相手とするより2番目とする方がベストなんだよ。惚れた腫れただけじゃ、どうにもならないこともある」

「そういう言い方は……」

 類に対して失礼である。言おうとして、つくしはやめた。類に対して一番ひどいことをしているのは、他ならぬつくし自身なのだ。
 きゅ、と唇を噛み締めて、つくしは俯く。

「結婚して一緒に生活をするようになって、初めて生活を共にすることの意味がわかるんだ。恋愛する相手が将来の伴侶になるとは限らない」

「……」

 総二郎が語る言葉には、重みがあって。以前、司の姉である椿に言われた言葉を、つくしは思い出してしまった。

 政略結婚のために、当時付き合っていた男性と別れることになった椿。結婚後も、しばらくはその男性のことが忘れられなくて。
 でも夫になった人が、『君が僕を見てくれるまで、10年でも20年でも待つよ』と言ってくれたと話してくれた。今では、結婚したのが彼でよかったと思っている、と。

 隣に佇む類に、つくしは視線を送る。その視線に気づいて、類はつくしを向いて微笑んだ。ビー玉の瞳を持つ彼を、慕っている。その気持ちに偽りはない。誰よりも側にいて、支えて欲しいと願う。そして、支えてあげたいとも。

「これで俺も、心置きなく日本を離れることができる」

 にこ、と総二郎は類とつくしに笑顔を見せた。

「出発、いつだっけ?」

「牧野の卒業式までは日本にいるさ」

「そっか」

 類と総二郎は、つくしを挟んで会話をするが。

「ち、ちょっと待ってよ。西門さん、どっか行くの?」

 つくしは、二人の会話に入って行けなくて。目を大きく見開いたまま、総二郎を見つめた。

「茶道の文化を広めるために。世界中を旅してくる」

 そう真っ直ぐ言う総二郎は、正直カッコいいと思う。けれど、つくしにとっては急な話である。

「お前らが中途半端なまま、行くに行けなくてよ。ちゃんとこの目で、二人の顛末を見届けたかったんだ」

 総二郎は、穏やかな目つきでつくしを見る。
 ふと口元に目が行って、つくしは総二郎にキスをされたことを思い出してしまった。それに気づかれないように総二郎から目を背けて、つくしは口を開く。

「優紀は、知ってるの?」

「ああ、ちゃんと話したよ。戻って来たら一番に会いに行くって約束した」

 え、とつくしは目を丸くする。

「それって、どういう……?」

「言葉通りの意味だろ。今の俺は、優紀ちゃんを選んだんだ」

 今は、そう思う。未来の総二郎の気持ちは、誰にもわからないから。
 つくしがその真意に気づいたかどうかは、わからないけれど。

「そうなんだ」

 優紀の想いが、総二郎に届いたのかもしれない。嬉しくて、つくしは目尻に涙が溜まるのを堪えられなかった。
 潤んだ瞳で、つくしは総二郎を見る。ありがとう、と素直に思う。

「何だよ、そんな目で見て? もう1回、キスして欲しいとか?」

「はぁ!? 馬鹿なこと言わないでよっ」

 今の今まで感動していた気持ちが、一瞬にして覆された。ありがとう、と感謝してしまった自分の気持ちを、思い切り否定したくなる。

「もう1回、って?」

 類の低い声に、つくしは、ぞくっとする。冷ややかな瞳で、類はつくしを見据えた。

「キスしたの、総二郎と?」

「そ、そんなことあるわけないでしょ!? あたしが西門さんとそんなことするとか、西門さんが女遊びを止めて一人の女に絞るくらい、ありえないっつーの」

「……動揺してる」

 慌てて否定するつくしに、ぼそ、と類が呟く。

「ど、動揺なんか、してないわよ。どうしてあたしが動揺しなくちゃならないのよ。動揺する理由なんか、あ、あたしには全然ないのに」

「牧野は動揺すると、よくしゃべるのな」

 つくしを観察しながら、総二郎が言う。そんな総二郎に近づいて、類が口を開いた。

「で、もう1回って? したの、キス?」

「ああ、この前会ったときに。餞別をもらっただけだから、心配すんな」

「ふぅん」

 類は、総二郎を睨む。総二郎の言葉に、納得できないらしい。普段無口な人間ほど、こういうときは怖い。

「俺からの餞別も、いる?」

 総二郎の首元を捕まえて、類が言う。

「男からのは、遠慮しとくわ」

「親友なのに」

「気持ちだけもらっとく」

 はは、と笑って、総二郎はつくしを見た。
 恋愛の対象とか、結婚相手としてではないけれど。総二郎にとっても、つくしは特別な女の子だった。

 台風のようにいきなり現れて、周囲を巻き込んで、そうして静かにいなくなる。司が相手でも類が相手でも、親友の彼女という肩書きは消えない。

 更とも優紀とも違う、特別な存在の女の子。
 色々助けられて、支えられた。本人は気づいていないと思うけれど。