花より男子/ユキワリソウ(4)


「ありがと、送ってくれて」

「うん。じゃ、また明日」

 つくしが車のドアを閉めながら言うと、類は笑顔で手を振ってからアクセルを踏んだ。

 つくしは、類に対するつくしの気持ちに答えを求めようとしない類に甘えていた。
 いけないとは思いつつも、誘われたら断ることができなくて。会っている間は、確かに楽しくて。心が癒されていた。

 そのとき携帯が鳴って、つくしは慌ててバッグから携帯を取り出した。

「西門さん?」

『おぅ、牧野。おまえ今、類と一緒か?』

「ううん。今帰った」

『ちょうどよかった。おまえに話があるんだよ。今、どこにいる?』

「家の前」

『じゃ、10分で着くからそこで待ってろよ』

「はいはい」

 相変わらず忙しい男だ、とつくしは息を吐く。家の前に座り込んで、つくしは総二郎を待つことにした。

 類は、毎日のようにつくしを送ってくれる。バイトの日はバイト先まで迎えに来て、バイトがない日はデートをして。
 もう1ヶ月近く、つくしは類とそういう生活を送っていた。

 類を想うと、胸が温かくなる。冷え切ったつくしの心に熱湯を注いでくれるかのように、温かい気持ちで埋め尽くされる。
 この気持ちを、恋と呼べるのかはわからない。

 ただ、ずっと側にいて欲しいとは思う。もしかしたら、司のことが心残りで。一人になりたくなくて、類を利用しているだけなのかもしれない。
 そういう思いが時折頭を過ってしまうから、つくしは未だに踏み切れずにいるのだ。

「よぅ、待ったか?」

 考えを巡らせている内に、総二郎の車がつくしの目の前に止まった。立ち上がって、総二郎の車に乗り込む。

「話って?」

「まぁ、落ち着けよ。飯でも食おうぜ」

 用件を聞き出そうとするつくしを制すように、総二郎が笑顔を向ける。ふぅ、と息を吐いて、つくしは窓の外を眺めていた。



「短直に言うと、だ」

 目の前に並べられた食事に手を伸ばしながら、つくしは総二郎に耳を傾ける。

「類のお祝い、どうすっかなって話」

 名前を出されて、つくしの手が止まる。

「お祝いって?」

 疑問を、つくしは素直に投げかけた。

「だから、婚約祝い」

「え……?」

 司と滋結婚式の招待状が届いたときのように、胸を鷲掴みされた気がした。
 類の婚約祝いということは、類に婚約者ができたということで。

 類は、何も言わなかった。
 確かに、つくしは類のただの友達だから、類のすべてを曝け出す必要はないのだが。

「聞いてねぇの、類から?」

「う、うん……」

 手が、震えて。思うように、食事を口に運べない。

「まぁ類も、いつまでも独身でいるわけにもいかねぇし。見込みのないつくしチャンを想い続けてるよりは、いいかもな?」

 ちら、とつくしの顔色を伺いながら、総二郎は言うが。
 つくしの耳には、届いていなかった。
 その前に言われた言葉に、呆然としてしまっていて。

 司だけではなく、類までもがつくしから離れて行ってしまう。

(――嫌だ……っ)

 きつく目を瞑ると、不意に唇に体温を感じた。驚いて目を開ければ、総二郎の顔が映る。
 今のは、もしかして。

 つくしが意識するより先に、総二郎が口を開いた。

「行けよ、類のところに。おまえだって、もうわかってんだろ?」

「……え?」

「待ってるだけじゃ、類だっていつかは司みたいにいなくなるんだぜ?」

 類は、つくしのものではない。
 でも、類がつくしの隣にいなくなるなんて、考えられない。考えたくない。

 思うよりも先に、身体が動いていた。
 まだ、何も言っていない。まだ、何も始まっていないのに。このまま終わりになんてさせない。絶対に。

 がたん、と椅子を鳴らして、つくしは駆け出した。
 類のところへ行って、何を言えばいいのだろう。そういうことを考える余裕さえ、今はなくて。ただ、類に会いたい。その一心で。

「ったく」

 総二郎は椅子に座り直して、空席になった、今までつくしが座っていた椅子を見つめた。

「面倒臭い奴ら」

 日本を発つ前に、どうしても二人の行く末を見ておきたかった。
 類がつくしを想っているのは、誰が見てもわかるから。
 そうしてつくしも、少なからず類を意識していたのは見ていてわかった。

 それでも一歩を踏み出せなかったのは、きっと司のことがあるから。完全に司を忘れていないのに、類の所には行けないとでも思ったのだろう。
 いつか、つくしの中から完全に司の存在が消えてしまった時。その時は、ちゃんと類の気持ちを受け入れよう。

 そう思っていたのかもしれないが、恋愛はタイミングが大事であり。そのタイミングを逃せば、上手くいくはずの恋も上手くいかなくなるのが恋愛である。
 それは総二郎自身が経験していることであり、誰よりも理解できることである。

 優紀のことに対してもそうだ。恋愛の対象としては、今は見れない。
 でも、未来のことは分からないから。恋愛感情はなくても、大切な友達で、側にいて欲しいと思うから。卑怯かもしれないけれど、それが素直な気持ちだった。

「一期一会、か」

 ぽつり、と総二郎は呟く。総二郎にとって初恋である更のあとのそれは、優紀なのかもしれない。

◇ ◇ ◇


「花沢類っ!!」

 ばたん、とものすごい音をさせて、類の部屋のドアが開かれた。ビックリして、類は思わずバイオリンを弾いていた手を止める。

「ま、牧野さま。勝手なことをされては、困ります」

 そんなつくしの後ろから、花沢家の使用人たちが顔を覗かせた。

「いいよ、そのままで。下がって」

「は、はい」

 失礼しました、と使用人たちは部屋のドアを閉めてその場をあとにした。

「どうしたの、急に?」

 バイオリンを置いて、類はつくしを見つめる。怒っているのか、泣きたいのか。つくしは複雑な表情をしている。
 俯いたまま類の側まで歩み寄り、類の服の裾を掴んだ。

「いなく、ならないでよ」

「え?」

 ぼそ、と呟いたつくしの言葉に、類は目を丸くする。

「側で支えてくれるって言ったじゃん。勝手に、いなくなろうとしないでよ」

 なんて我儘なんだろう、と言いながら思う。類には類の人生があるのだから、それをつくしがどうこう言える立場ではない。
 わかっているのに、言葉が止まらない。

「ちょっと待って。一体、何の話?」

「西門さんに聞いたの、花沢類が婚約したって。そりゃ花沢類が婚約するのは勝手だし、わざわざあたしに言うことでもないけど。でも、嫌なの。あたしには、まだまだ支えが必要なんだから。勝手にいなくなられたら困る」

 随分と、勝手なことを言っていると思う。ある意味、愛の告白めいた言葉である。

 類は、つくしの言葉を頭の中で整理していた。そもそも類が婚約したなんて嘘を、何故総二郎はつくしに言ったのだろう。
 思って、ああ、と一つの結論に行き着く。

 類のためだ。なかなか煮え切らないつくしに、強引に答えを出させてやろうという魂胆だったのだろう。
 その総二郎の思惑に、つくしは見事に嵌まってしまったというわけだ。

「じゃあ、牧野が俺と婚約してくれる?」

「え?」

 悪戯な笑みを浮かべ、類はつくしに問う。せっかくだから、もう少しはっきりとした言葉が聞きたい。

「こ、婚約って……」

「だから。牧野が、俺と結婚してくれるって約束してくれたら、俺はずっと牧野の側にいるよ」

「……」

 つくしは、言葉を失った。そうだ。類の婚約を阻止しようとするのなら、類がそういう条件を出すのは仕方がないことかもしれない。
 類が花沢物産の跡取りとして婚約を破棄するのであれば、その代わりとなる女性を用意しなければならない。

「俺は、どっちでも構わないよ。誰と結婚したって、俺の心はずっと牧野のものなんだから」

 つくし以外なら、誰と結婚したって同じなのだ。つくし以上に愛せる女性は、多分これから先もずっと現れないだろう。
 それくらい、類にとってつくしは特別な存在なのである。

「あ……たし、は……」

「うん」

 類は、服の裾を掴んでいるつくしの手を取る。心臓が、ありえないほどに波打っていて。類を見上げれば、尚更ドキドキする。

「あたし……」

 類と離れたくない。類を誰にも奪られたくない。それは、そうなのだが。
 これを、恋と呼んでもいいのかがわからない。

「……あたし、まだ花沢類のことをちゃんと好きか、わからない」

 素直に、つくしは想いを言葉にした。

「でも、今誰よりも側にいてほしいのは、花沢類だけなの」

 言葉にして、すぅっと風が通り過ぎるように、気持ちが流れていった。こんなに、簡単なことだったんだ。好きと想うよりも、ずっと大切な気持ち。

「まぁ、今はそれでもいいか」

 ふぅ、と息を吐いて、類はつくしを抱き寄せる。そしてそのまま、ちなみに、と口を開いた。

「俺の婚約って、嘘だよ」

「はぁ!?」

「総二郎に、してやられたって感じだね」

 笑いながら、類が言う。

「何よ、二人して。人を騙すなんて」

「俺は別に、騙してないよ。婚約したなんて、一言も言ってないでしょ」

「だったら、そう言ってくれればいいじゃないっ。否定しなかったんだから、花沢類も同罪よ」

 頬を膨らませて、つくしが怒鳴る。でも今は、つくしの怒りが気にならない。それよりも、嬉しさの方が勝っているから。

「でも、俺は嬉しかったよ」

「え?」

 つくしの手を取って、類はその手を自分の頬に添える。

「牧野の本心が聞けて。少なからず、俺を好いてくれてるってわかったから」

「……」

 自分で言ってしまったことだが、改めて言われると急に恥ずかしくなってしまう。
 類は、頬に添えたつくしの手を離そうとはしない。宝物に抱き締められているかのように、幸せそうな表情をしている。

「総二郎に、お礼を言いに行こうかな?」

 え、を顔を上げたつくしの額に、類の唇が触れた。一瞬戸惑ってしまったが、つくしは黙ってそれを受け入れた。
 それから徐に、類の背中に手を回す。
 ぎこちないその仕種に、類は目頭が熱くなってしまった。

 つくしの本音が聴けたのは、紛れもなく総二郎のおかげなのだ。お節介と言えばそれまでだが、つくしの心根が聞けてよかったと思う。

 永年の片想いに、ようやく終止符が打たれた。類の、つくしに対する想いが報われたのだ。