花より男子/ユキワリソウ(10)


「お誕生日、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 先ほどから、代わる代わる色々な著名人に声をかけられて、正直類はウンザリしていた。
 早く、パーティが終わればいいのに。そう思っていた類の気持ちは、恐らく表情に出ていたと思う。

「そんなあからさまな表情すんなよ、類」

 ぽん、と肩に手を置かれて振り向けば、あきらの姿があった。

「だって、嫌なんだもん」

「ま。気持ちはわからんでもないけどな」

 類のはっきりとした言葉に、呆れたようにあきらも頭を掻いた。

「あ、そうだ。ついでに、牧野を拾って来てやったぜ」

「……え?」

 言われてあきらの隣を見れば、綺麗に着飾ったつくしの姿が。嬉しくて顔を綻ばせた瞬間、類はあることを思い出し、蒼くなった。

 ――大々的にお前の婚約を発表する。

 このままつくしが会場にいたら、せっかく側にいてくれると言ってくれたつくしの気持ちが、また覆ってしまうかもしれない。
 類は、あきらを引っ張って耳打ちする。

「余計なことしないでよ」

「え?」

 類のために、せっかくつくしを連れて来たというのに。その言い分は、あんまりではないか、と思うあきらだったが、類にも事情があるのだろう。それ以上、あきらは何も言わなかった。

「ごめんね、牧野。せっかく来てくれたのに、俺、今日はあんまり一緒にいれないかも」

「ううん、いいの。勝手に来てごめんね」

 悟られないように優しく笑顔を見せると、首を振ってつくしも微笑んだ。そうして何を思い出したのか、一瞬にして赤く染まる。

「あ、あたし、帰るね」

 両手で頬を覆って、つくしは身を翻して会場を後にした。そんなつくしを見て、類も少しだけ頬を赤らめる。

 昨夜、つくしからもらったプレゼント。今のつくしの態度は、それが夢ではなかったことを実感させてくれる。
 やっと、この手に抱くことができて。この上ない幸せを、類は感じていた。

「何かあんのか、今から?」

 去っていったつくしを見やり、あきらは類に問う。

「俺の婚約発表」

 正直に、類は答える。あきらにまで黙っている必要はない。

「げ。マジ? 言っとけよ」

「だって、牧野を連れてくるなんて思わなかったから」

 類の婚約発表があると知っていたら、つくしを連れてきたりはしなかったのに。だが、類も好んでするわけではない婚約発表を、わざわざ言いたくはなかったのだろう。口にすれば、それを肯定しているみたいで。

「で、相手は?」

「知らない。聞いてない」

「お前の、婚約発表だろ?」

「不本意なのに。興味ないよ、そんなの」

 仮にも、自分の嫁のことなのに。どこの令嬢だとか、少しは気になるものではないのだろうか。
 いや、これが類なのかもしれない、と思う。他人にはまったくの無関心で、どうでもいいと言っていた。そういう性格だったことを、つい忘れてしまいそうになる。

 つくしのおかげで、類は人間らしくなった、と常々思う。類だけではなく、司も。人間の心を持つようになった。二人とも、角が取れて丸くなったと思う。

 そのとき、斗吾がマイクを片手にしゃべり始めた。いよいよ、類の婚約者が発表される。



 ――あたしを、あげる。

 耳元でそう囁かれた類は、一瞬、時が止まったかのように固まってしまった。今の言葉の意味は、一体。

「それって、俺と結婚してくれるってこと? それとも、このままアンタを抱かせてくれるの?」

 素直な疑問に、つくしは先ほどよりも小さな声で、どっちも、と呟いた。一瞬にして、類の顔は耳まで赤く染まる。
 今の表情は、絶対に誰にも見られたくない。それくらい、情けない表情をしていると思う。でも、すごく嬉しくて。感涙に咽んで、思わず涙が出そうになる。

「……つくし」

 そっと囁けば、びくっとして、つくしは類の首に回していた腕を緩めた。それをゆっくりと外して、類の視界に入る。
 しばらく見つめられ、それから類の唇が落ちてきた。そのまま、押し倒されるように畳の上に背中をつけられて。初めて、男の人に身を捧げた。



 そんなつくしを思い返しながら、類は拳をきつく握る。斗吾の口から婚約の話が出ることを、今か今かと心待ちにして。相手の女性には申し訳ないが、はっきりと言わなくてはならないのだから。

「この場をお借りして、私の息子の婚約者を皆さま方に紹介します」

 わぁぁぁ、と会場から歓声が上がる。どのタイミングで断るべきか。類は、それを探るように斗吾を見つめていた。

「今からご紹介する女性は、こういった公の場にはあまり出たがらないのですが。無理を言って、私がお願いしました。ですから、皆さま方も街で類の婚約者を見つけても、声などおかけにならないようにお願い致します」

 斗吾の言葉に、報道陣がカメラを構える。そして次の瞬間、類とあきらは、鳩に豆鉄砲を食らったように、ぽかん、と口を開けてしまった。斗吾に促され、舞台袖から出てきたのは。

「牧野つくしさんです」

 そう紹介した瞬間、一気にカメラのフラッシュがつくしに浴びせられる。
 慣れない場所で無理をして立っているのが、手に取るようにわかる。斗吾の言っていた通り、観客の前でカメラを向けられるのを、誰よりも嫌がる女性なのだから。

「おいおい。あれって、牧野だろ? 類、一体どうなって……?」

 あきらは類の表情を見て、それ以上言うのを止めた。驚くほどの衝撃を受けたのは、あきらだけではなかったようだ。

「何で、牧野が……?」

「類、上がって来なさい」

 類の呟きと、斗吾の声が同時に重なった。呆ける類の背中を押して、あきらが口を開く。

「しっかりしろ、類」

「あ、ああ」

 声をかけられて、はっとしたように類は舞台に向かって歩き出した。
 何度見ても、間違いない。舞台に立って、類に微笑んでいるのは、昨夜、やっとの思いで手に入れた、つくしなのだ。

「牧野さんは以前、道明寺財閥のご子息とも噂されていたと記憶していますが?」

 カメラマンの一人が、つくしに視線を向ける。それをきっぱり否定して、斗吾は答えた。

「それは、過去の話です。今はもう、何の関係もありません。現に、司くんは既に結婚している。そのことが、何よりの証拠になりませんか?」

 ざわざわと、会場が騒ぎ出す。
 司の話題を振られて、つくしの表情が曇る。完全に、つくしの心から消えてしまったわけではない。

 舞台の上のつくしの隣に立つと、戸惑いながらも類はそっとつくしの手を取った。
 はっとして類を見上げれば、微笑んでつくしを見つめていた。大丈夫、と言われているような気がして、つくしの口元に笑みが漏れる。

◇ ◇ ◇


「まさか、父さんとグルだったなんてね」

 ネクタイを外しながら、類が深く息を吐く。類のベッドに腰をかけたまま、つくしが戸惑ったように口を開いた。

「そういう言い方しなくても……」

 しゅん、と俯いてしまったつくしに近寄り、ごめん、と額に口付ける。

「本当に、何も聞かされてなかったから。父さんのあの勝ち誇った表情に、腹が立つよ」



 先に舞台の袖に引っ込められたつくしは、控え室で類の母・みやびと話をしていた。

「そう、大変だったのね。今、ご両親はどうしてらっしゃるの?」

 つくしのことを、雅は色々聞いてくる。不思議と、同情されている気はしなくて。
 つくしは、聞かれるまま、すべてを語った。

「やぁ、盛り上がっているみたいだね」

 しばらくすると、斗吾が姿を現した。

「もう少ししたら、類も来ると思うよ」

 くく、と声を殺して、斗吾は笑う。すると、ばたん、と勢いよくドアが開いて、類が姿を見せた。

「まぁ。じゃあ、今はお一人で暮らしているの?」

「は、はい。いろいろありまして……」

 世間話を繰り返すつくしと雅を尻目に、類は斗吾に詰め寄る。

「どういうことなんだよ、一体?」

「何が、だ?」

 類の質問に、斗吾は平然と答える。

「だから。何で、牧野が俺の婚約者なんだよ?」

「おまえ、私に一存すると言わなかったか?」

「そうじゃなくて。だから、どうして牧野を……」

「花沢類」

 斗吾に食ってかかる類を止めるように、つくしが口を開く。

「ごめんなさい。花沢類の気持ちも聞かずに、あたし、勝手に……」

「違う。アンタが嫌とか、そういうことじゃなくて」

 目を伏せるつくしに、類は慌てて否定する。つくしが婚約者として紹介されたことは、驚きはしたがとても嬉しかった。
 斗吾に聞きたいのは、いつからつくしと接触があったのか、とか、そういったことで。つくしとの婚約を否定したいわけではない。

「あっはっはっはっ」

 そんな類の様子を見て、斗吾は声を上げて笑い、雅は静かに失笑している。両親に笑われたことなど、今まで一度もなかったというのに。

「類の、その表情が見たかった。私の計画は、大成功、といったところだね、つくしさん」

 笑いながら、斗吾はつくしを見る。つくしも、ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
 それから帰る車の中で、つくしは斗吾に会ってからの経緯を類に話したのだった。



「でも、本当によかったの?」

 つくしの顔を見つめて、類が問う。

「うん。あたしが、決めたの」

 まっすぐに、つくしは類を見据えて言う。それに安心したように、類はつくしを抱き締めた。
 つくしが側にいることが、未だに信じられない。雲の上にいるみたいに、気持ちがフワフワしている。

 いつだったか、こんな気持ちで過ごしていたことを思い出す。そう、あれは。藤堂静と一緒に、パリで暮らしていたとき。
 あのときも、毎日が楽しくて。幸せ、だった。恋と憧れの区別もつかない、子供だったけれど。それでも、幸せで穏やかな時間を過ごしていたことは、間違いではない。

「一度決めたことは、そう簡単には変わらない……んだよね?」

 確認するように、類はつくしの顔を覗き込む。ビー玉の瞳で見つめられ、かぁ、とつくしの頬が赤く染まる。
 ふ、と類は笑う。幸せを、改めて実感していた。つくしが、隣で微笑んでいてくれる。静と暮らしていたときよりも、幸せだった。

 だが、やはりというべきか。

『道明寺財閥の次は花沢物産!』
『御曹司から御曹司へ。魔性の女!?』

 さまざまな見出しが、街のどこを歩いていても目につく。
 翌日の新聞は、つくしを中傷する記事で埋め尽くされていたのだった。