しゅごキャラ!/何度でも上書きしてやる!


「……つーか、さむっ」

 身を縮めて、亜夢はブルブルと震えた。

「何でこの時期に、海なのよ」

 きっ、と幾斗を睨めば、幾斗は優しく微笑んで亜夢を見つめていた。

「いいもんだぜ、冬の海も?」

「……」

 寒いのは苦手なくせに、と思うが、黄昏れた空を眺める幾斗が、悔しいけれど格好よくて。
 それ以上、亜夢は何も言えなくなってしまった。

「……それに」

 亜夢の背中に回り、幾斗はそっと包み込むように亜夢をコートの中に入れた。

「こうしてると、温かいし」

「……」

 また湯たんぽ代わりか、と少しだけため息が漏れる。
 でも幾斗とくっついているのは、やっぱり温かい。本人には決して言えないけれど、嬉しいという気持ちもある。
 何も言わずに、亜夢は幾斗に身を委ねていた。

「……ねぇ」

「ん?」

 亜夢が口を開けば、耳元で幾斗の声がした。

「今日、どうしてここに来ようと思ったの?」

「……」

「何か、理由があったんじゃないの?」

「…………」

 何も言わずに、幾斗はただ亜夢を抱き寄せる手に力を込めた。

「イクト?」

 身を捩り、亜夢は幾斗を向く。

「別に何も。ただ、あむとデートしたかっただけ」

「……ホントに?」

「信用できない?」

「……」

 亜夢は、じっと幾斗を見つめる。ふ、と口元に笑みを浮かべて、幾斗はそっと亜夢の手を取った。

「少し、歩くか?」

 言って、二人は海岸沿いの遊歩道を歩く。繋いだ手は温かいのに。どうしてか、ひどく幾斗が遠くに感じる。

「……もぅ!」

 ばっ、と幾斗の手を振り払い、亜夢は声を張り上げる。

「言いたいことがあれば、言えばいいじゃんっ。そういうふうに黙ってるの、ズルいよ!!」

「……あむ?」

 驚く幾斗を尻目に、亜夢は駆け出した。後方から、幾斗の亜夢を呼ぶ声がする。でも、振り返りたくなくて。

 亜夢は、そのまま走り続けた。

「!?」

 がく、と身体が下に落ちた気がした――瞬間。亜夢の身体は、遊歩道に叩きつけられた。
 それなのに、ばしゃん、と何かが海に落ちた音が響く。

「……え?」

 振り返るが、幾斗の姿はどこにもなく。

「え……!?」

 波の音が、亜夢の耳に虚しく響いて。遊歩道に叩きつけられる寸前に、腕を捕まれたことを思い出した。あの、亜夢を引っ張った強い力の持ち主は。

「イクト――っ!!」

 亜夢の悲痛な叫び声も、目の前の漠然とした海に吸収されてしまうだけだった。

◇ ◇ ◇


 ぴ、ぴ、と機械音が響く病室のベッドに、幾斗が寝そべっている。点滴を伝う管が、幾斗の腕に繋がっている。痛々しく頭に包帯を巻いた幾斗を、亜夢は虚ろな瞳で見つめていた。

 幸い、命に別状はなかったものの、遊歩道から落下した際、身体中を岩にぶつけていたらしく。亜夢が呼んだ救急隊員に助けられた幾斗の身体は、すり傷だらけだった。

「……イクト」

 そっと名前を呼んで手を握っても、返事はない。亜夢の手を、握り返すこともない。

「イクト」

 少しだけ、声の大きさを上げる。それでも、幾斗は何も言わなかった。

「い、くと……ぉ」

 ベッドの傍らに崩れ落ちるように、亜夢は膝をついた。まったく力の入らない幾斗の手を、握り締める。

 そのとき、バタバタと足音が近づいてきて、幾斗の病室の前で止まった。そうして、声と共にドアが開かれる。

「イクト!」

 入ってきたのは、今にも泣き出しそうな歌唄だった。

「ぅ、た……っ」

 縋るように、亜夢は歌唄に飛びつく。その亜夢の肩を支え、歌唄はベッドに横たわる幾斗を見据えた。

「あた、あたし、が……、あたしが、いけないの……っ。イクトは、あたしを……、助けようとして……」

 しゃくり上げながら、亜夢は言葉を並べる。
 だが幾斗を見つめて放心する今の歌唄に、到底亜夢の言葉は届かない。

 昏睡状態の幾斗が目を覚ましたのは、それから3日後のことだった。



「――…あむ?」

 幾斗の、亜夢を見つめる瞳が。まるで、拒絶しているみたいに冷たくて。

「……悪い、出てって」

 はー、と身体中から息を吐き出して。面倒臭そうに言われた亜夢は、おぼつかない足取りで病室を出た。
 どん、と扉が閉まると同時、足が、震えて。立っていることさえままならなくなった亜夢の肩を、空海が支えてくれた。

「しっかりしろよ、日奈森」

「……くぅ、かい」

 ふぅ、と重苦しいため息を吐いて、空海は廊下のソファに亜夢を座らせる。震える亜夢の瞳から、涙が零れた。

「ここ1、2年の記憶が飛んでるみたいでな。俺のことも、まったく知らなかったよ」

 歌唄や、唯世のことは覚えているのに。亜夢と出会う直前からの記憶が、なくなっていて。
 亜夢に、優しく微笑みかけてくれていた幾斗は、もうどこにもいない。



「……」

 身体を起こしてベッドから窓の外を眺める幾斗に、亜夢は声をかけるのを躊躇った。
 見惚れたように入り口に佇んで、口も開かずにそうしていると、やがて亜夢に気づいた幾斗が笑顔を見せた。

「また、来たんだ?」

 言葉に、ずき、と心が痛むのがわかった。

「あ、当たり前でしょ? イクトがケガしたのは、あたしのせいなんだから」

 無理に強がって、亜夢は部屋の花瓶に手をかける。

「別に、いいのに。どうせ、俺は覚えてないんだから」

「あんたが、よくても。あたしは、よくない……から」

 花束を握る亜夢の手に、力が入った。視界が揺れてくるのがわかり、亜夢は花瓶を持ってそそくさと病室を後にする。

 花瓶に活けられていた花を捨てて、水道の蛇口を捻る。蛇口から溢れる水と共に、亜夢の瞳からも涙が滴り落ちた。

「……っ、泣くな、あむ……!!」

 嗚咽を洩らしながら、亜夢はその場に座り込む。活を入れるように、ぱん、と頬を叩いて。

 あれから、何度泣いただろう。何度、自虐的な言葉を吐いただろう。そうしていても、幾斗の記憶が戻るわけではないのに。

「……水、もったいない」

 きゅ、と水道の蛇口が閉められて、亜夢ははっとして顔を上げた。

「い、くと……」

「そうやって、いつも泣いてたわけ?」

 悟られたように言われ、亜夢は下を向いた。

「気づいてたさ」

 花を活けて、幾斗は花瓶を手に取る。

「おまえ、いつも目を腫らして見舞いに来てたから」

「……」

「もう、来なくていい。おまえを見てると、気が滅入る」

 ぴしゃり、と言い切られて。泣きたくなるのと同時、沸々と怒りが込み上げてきた。

「……待って」

 地を這うような亜夢の声に、幾斗は振り返る。

「見舞いに来てあげてんのに 気が滅入るって、どういうことよ!? 普通は、ありがとう、とか、そういう……」

「その意気だ」

「……へ?」

 思いがけず一笑した幾斗に、亜夢は目を丸くした。

「見舞いに来るんなら、もっと気合い入れとけ。自分のせいだって落ち込んだ表情で来られたら、治るもんも治らなくなるから」

「……」

 不覚。
 亜夢は、俯いた顔を上げられなくなってしまった。
 あの、幾斗の優しい表情。あれに、亜夢はいつだって守られてきたのに。その笑顔を、見れなくなってしまって。
 落ち込んで沈んでいた亜夢を、幾斗は気づいていた。そうしてまた、立ち上がらせてくれたのだ。

 きゅ、と唇を噛んで、亜夢は顔を上げた。今までの思い出がなくなったのは、幾斗だけで。亜夢は、ちゃんと覚えているから。
 だったらまた、一から始めればいいのかもしれない。真っ白になってしまった幾斗の記憶に、新しい亜夢との思い出を書き込んでしまえばいいのだ。

◇ ◇ ◇


「いーくとっ♪」

「よぉ」

 笑顔で姿を現した亜夢に、幾斗は笑顔を見せる。

「今日、退院でしょ? 荷物、持ってあげようと思って」

「へーき」

「遠慮しないでいいから」

 幾斗の手の中から、亜夢は無理にバッグを取る。

「しばらくは、自宅療養でしょ? また、お見舞いに行くね」

「いいって。学校とかあんだろ?」

「あたしが行きたいの」

 自分でも、ビックリするほど。ここ最近の亜夢は、可愛い女の子に徹していたと思う。
 好きな人の前で、可愛くありたい、と。常々からの願いが、幾斗が記憶を失くしたことで、たがが緩んだかのように。
 強気な亜夢を知らない今の幾斗の前でなら、素直になれる自分がいた。

 くす、と微笑んで、幾斗は亜夢を抱き竦める。一瞬の出来事に、亜夢は唖然としてしまった。

「ち、ちょっと、何……!?」

「何か、可愛いなーと思って」

「……は!? か、可愛いとか、ありえないしっ」

 くっくっ、と声を殺して、幾斗は笑う。

「ひさびさ聞いたな、あむの強気の台詞」

「……え?」

「どんなあむも大好きだけど、最近のあむは、特別可愛かった」

「え……!?」

 ばっ、と顔を上げれば、唇に幾斗の温もりを感じた。

「ただいま」

「――…」

 幾斗の言葉に、自ずと涙が零れて。幾斗の笑顔が、歪んで見えた。

「今朝、目が覚めたとき。一気に、忘れてた記憶が押し寄せてきた。記憶がなかったときのことも、ちゃんと憶えてる」

 頬を伝う亜夢の涙を指で拭うと、幾斗はそこに唇を落とした。

「たまには、記憶を失くすのもいいかもな。可愛いあむが見れるし?」

「ば、馬鹿じゃん!?」

 顔を真っ赤に染め上げた亜夢は、尚更可愛くて。それまでの亜夢の新たな一面を見られたことに、幾斗は至福のときを感じていた。


しゅごキャラ!/何度でも上書きしてやる!■END