しゅごキャラ!/失っても残るもの
「あむ、大丈夫?」
「うぅ……。前、見えない……」
山積みの布を抱えた亜夢を、心配そうにりまが覗き込む。
「何で、今日に限って男手がないのよ……」
はぁ、と亜夢はため息を洩らした。
「唯世もなぎも、家の用事だから、でしょ?」
「そ。でも、今日中に買っといてって、先生が」
「だからって、何であたしが……」
「じゃんけんに負けたから」
ぼそっと亜夢が呟けば、りまとややは声を揃えてそう言ったのだった。
文化祭用の布を、ガーディアンメンバーで購入することになったのだが。
唯世は家族で食事、なぎひこは、知人の祝賀会で舞踊を披露しなければならない、とのことで、亜夢とりま、そしてややの三人で買い出しをすることになったのだ。
「あむ、そこ電柱あるから。気をつけて」
「はーい」
そう、返事をした矢先のことだった。
「!?」
「あむっ!!」
山積みになった布で前方が見えなかった亜夢は、目の前にあった電柱に激突してしまった。
電柱の側には、それまで亜夢が持っていた布と、それに下敷きにされるように亜夢が倒れている。
「あむちーっ!」
りまはややは、慌てて布を掻き分けて亜夢に声をかける。
「あむ、あむっ」
「……ん」
薄らと、亜夢の目が開いた。ほー、と安堵の息が漏れる。
「大丈夫、あむち?」
「……」
何も答えずに、亜夢は打ったであろう額を押さえた。
「あたし……」
次に発した亜夢の言葉に、りまとややは驚きを隠せなかった。
◇ ◇ ◇
「記憶喪失?」
亜夢の母・緑の言葉を、幾斗は思わず復唱してしまった。
「たぶん、一時的なものだろう、とは言われたんだけど……」
はぁ、と息を吐きながら、緑はそう言った。
「あむは、今……?」
「部屋にいるわ。よかったら、声をかけてあげて? あの子、ずっと窓の外を見てるのよ」
幾斗は会釈をして、亜夢の部屋へ向かった。
コンコン、とノックをすると、すぐに、はい、と亜夢の声が返ってきた。深呼吸をして、ゆっくりとノブを回す。
幾斗を見て微笑む亜夢は。何も、変わりがないのに。
「こんにちは」
「……ああ」
そこに、記憶がないことは。口を開くまでわからない。
「あなたは?」
「……イクト」
「イクトさん? 高校生?」
慣れない響きが、くすぐったくて。思わず、目を伏せてしまいそうになった。
「イクト、でいい。そう、呼ばれてた」
「年上なのに? あたし、呼び捨てにしてたんだ?」
はは、と亜夢は笑う。
こういうふうに、笑顔を見せる女だったか、と幾斗は自分の記憶の中の亜夢と照らし合わせた。
外見は、亜夢なのに。中身は、まるで別人のようだ。
「覚える人が多くて大変。昨日と今日とね、学校の友達だっていう子が来たんだけど。王子様みたいな男の子とか。あ、テレビで見た女の子も来たんだよ」
亜夢が言うのは、きっと。
「……唯世と歌唄?」
「そう、唯世くんと歌唄ちゃん。イクトさん……じゃなくて、イクトも知ってるの?」
幾斗は、ゆっくり頷いた。それを確認して、そっか、と呟いた亜夢は、窓から空を仰ぐ。
「……何か、あるのか?」
亜夢に近づいて、幾斗は亜夢と同じように空を眺めた。
「何もないよ。でもね、何となく。あたし、いつもこうやって、誰かを待ってた気がするの」
「……え?」
亜夢の言葉に、幾斗は目を丸くした。
「誰っていうのはわからないんだけど。いつもね、こうして……、空を眺めて。大切な人が来るのを、待ってた気がするの」
「……」
「あたしの気のせいかもしれないんだけどね」
はは、と笑いながら、亜夢は幾斗を向いた。すると、すぐに亜夢の視界が塞がれてしまう。
「い、イクト……?」
亜夢は、大きく目を見開いた。何故、今幾斗の腕の中にいるのか。理解、できない。
「……来るさ」
「え?」
そっと、幾斗は亜夢から離れて、まっすぐに亜夢を見据える。
「きっと、来る。だから……、待ってろ」
「……うん」
真剣な幾斗の表情に。亜夢は、素直に頷いてしまった。
◇ ◇ ◇
「きれいな月……」
亜夢は、懲りもせずにまた空を仰いでいた。そうしていると、すごく落ち着いて。それから。
「……イクト」
何故か、頭から幾斗のことが離れなくて。
窓からの来訪者は、もしかしたら彼なのかもしれない、と直感で思ってしまった。
窓を閉めて、亜夢は部屋の電気を消すとベッドに潜った。
――待ってろ。
「……うん」
幾斗の言葉を思い出して、また頷いてしまう。きっと、彼が来る。彼に、来て欲しい、と。亜夢の心が、そう言っている。
かたん。
「……?」
物音がして、亜夢は身体を起こした。暗がりの中、佇んでいる影が見える。
「……イクト?」
影で、そう感じてしまった。ああ、と幾斗の低い声が部屋に響いて、安心する。
「やっぱり、イクトだったんだね。あたしが待ってたの」
ゆっくりと、影が亜夢に近づいてくる。そうしてはっきりと、幾斗の顔が見えるほどに。
「俺は、知らなかったけど。あむが、ずっと俺を待っててくれてたなんて」
くす、と口元を綻ばせて幾斗が言えば、亜夢は少し頬を赤らめて俯いた。
「そりゃ……。本人には、言えないよ。は、恥ずかしいじゃん」
「……好きだから?」
「え?」
亜夢が顔を上げた瞬間、柔らかな抱擁が亜夢を包み込んだ。
恥ずかしいのに、すごくほっとする。この腕の中にいると、安心できる自分がいた。記憶がなくても、わかる。幾斗の言うことは、当たっている。
(あたしはきっと、イクトが好きだったんだ……)
全神経が、幾斗を欲しているから。身体中が、幾斗に触れたい、とそう言っている。
もうこれは、欲望という名の本能でしかなくて。
「記憶があるときに、言って欲しかったな」
ふ、と笑いながら、幾斗はそう言う。それにムッとしたように、亜夢が頬を膨らませた。
「記憶がなくたって、あたしはあたしだよ。記憶がなくなったからって、あたしじゃなくなるの?」
「まさか」
桃色の髪を撫で、幾斗はそこにキスを送る。
「俺が知ってるあむは、意地っ張りで、天邪鬼。思ってることの半分も口にできない、我儘なお姫さま」
「……どこがよかったの?」
幾斗の言葉に脱力して、亜夢は思わず聞いてしまった。顔色一つ変えずに、全部、と幾斗は言って微笑む。
「意地っ張りで天邪鬼。思ってることの半分も口にできない我儘なお姫さま。だけど、俺にしか見せない、かわいい顔も持ってる」
まっすぐに見つめられて、亜夢は頬が熱を持ってくるのがわかった。今のは、本当に亜夢に向けられて言葉なのだろうか。
ストレートにぶつかってくる幾斗の言葉が、すごく嬉しい。でもそれと同時に、すごく恥ずかしくて。
「記憶がなくなったって、何度だって俺に惚れさせる。俺なしじゃ生きていられない身体に、してみせる」
「……もう、とっくだよ」
ぼそっと呟いて、亜夢は幾斗の肩に顔を埋めた。
「もうとっくに、骨抜きにされてる」
亜夢が呟いた言葉に、幾斗は思わず噴き出してしまった。
やっぱり、かわいい。何度でも、こうして恋に落ちてしまう。
意地っ張りな亜夢も。天邪鬼な亜夢も。思ったことの半分も口にできない亜夢も。全部含めて、亜夢だから。
そういう亜夢に、幾斗は惹かれたのだから。
◇ ◇ ◇
「何か。嬉しそうだね、イクト?」
隣に並んで街を歩く幾斗は、ずっと笑みを絶やさなくて。亜夢は、そう問うた。
「まぁな。あむと、こうして手を繋いで歩けるから」
繋いだ手を少しだけ上に挙げて、幾斗は微笑む。
「手、とか。繋いで歩かなかった?」
「恥ずかしがって、繋いでくれなかった」
「そうなんだ」
でも、と亜夢は思ったことを口にする。
「きっと、ずっと繋ぎたかったはずだよ。だって、繋いだ手の先から、幸せを感じるもん」
「……」
不意打ちに言われる亜夢の言葉が、慣れなくて。幾斗は、思わず亜夢から顔を背けてしまった。
これはきっと、お姉ちゃんキャラがなくなってしまった亜夢なのだろう。妹ができて、お姉ちゃんだから、と自分に言い聞かせて。人に甘えることを忘れてしまった亜夢。本当はずっと、こういうふうに甘えたかったのかもしれない。
「あむ、もう少しこっちを歩けよ。そこ、電柱……」
「こーんなとこでいちゃついてんじゃねぇよっ」
「!?」
幾斗の言葉の途中で、亜夢は、どん、と背中を強い力で押された。その反動で、目の前にあった電柱に、またもひどく顔面をぶつけてしまう。
「あむっ!」
慌てて、幾斗はその場にうずくまる亜夢の肩に手を置いた。頭を押さえて、亜夢は空海を睨む。
「何すんのよ、空海っ!」
「……え?」
幾斗は、目を丸くした。
「あっはは。悪ぃ、悪ぃ」
「悪ぃ、じゃないっ」
「……あれ?」
歌唄も、幾斗と同じく目を丸くする。
「あむ、もしかして……。元に戻った?」
「はぁ!?」
歌唄の言葉に、亜夢は顔を顰める。
「あむ、手ェ繋ご」
幾斗がそう言って手を差し出せば、あからさまな拒絶が待っていた。
「や、ヤだよっ。恥ずかしいじゃん!」
「……」
あれほど甘えてきた亜夢は、一体どこに。
がく、と肩を落とす幾斗に、亜夢は訝しげな目を送った。
「ま、まぁ、よかったじゃねぇか」
幾斗の肩を叩いて、空海がそう言う。
「ちっともよくないっ」
納得ができない、と言わんばかりに、亜夢が空海を睨む。そんな亜夢の頭を撫でて、幾斗は優しく微笑んだ。
本当は、ずっと甘えたかったんだ、という亜夢の本質が見えた。今回の記憶喪失は、幾斗の亜夢への気持ちを再確認させる、いい機会だったのかもしれない。お姉ちゃんキャラの亜夢も、そうでない亜夢も。全部が、『あむ』だから。
何度でも、きっと恋に落ちる。離れたら生きていけないほどに。
しゅごキャラ!/失っても残るもの■END