しゅごキャラ!/苦手=特別
「あれー?」
ややは、街頭のUFOキャッチャーの前に佇む青年に気付いて、足を止めた。
「あむち、あれって……」
「え?」
前を歩く亜夢の服の裾を引っ張って、ややは亜夢を呼び止める。亜夢は振り向いて、ややの指差す方を向いた。
「……イクト?」
「だよねぇ、やっぱ」
後ろ姿でも、はっきりとわかる。UFOキャッチャーの前に立っているのは、間違いなく幾斗だ。
「何やってんの?」
ぽん、と幾斗の肩を叩いて、亜夢が声をかける。
「なんだ、おまえか」
向いた幾斗の前に並べられた6種類の縫いぐるみに、亜夢の瞳は釘付けになる。それから、ことん、ともう一つ、縫いぐるみが落ちて来た。
「てか、すごっ。全部イクトが取ったの?」
「ああ」
落ちてきた縫いぐるみを取り出し、同じように並べて、幾斗は亜夢を見る。
「欲しけりゃ、やる」
「いいの?」
「俺には必要ねぇし」
まぁ、確かに。幾斗の部屋に、縫いぐるみが並べられているのを想像するだけで、笑える。
「やや、分けよ」
「やったぁ♪」
亜夢の言葉に、ややが嬉しそうに飛び跳ねる。
「でも、意外。イクトって、こういうの得意だったんだ」
ややと分けた縫いぐるみを胸に抱きながら、亜夢はぼそっと呟いた。
「え、そぉ? めっちゃ得意そうじゃん」
そんな亜夢の言葉に反論するように、ややは言う。
「ていうか、イクトが苦手なのって、あむちだけだと思うよ」
「え?」
ずきん、と胸が痛むのがわかる。幾斗が苦手なのが、亜夢だけ、という言葉に。
「ほら。他の事は、全部難なくにこなすのに、あむちにはどうしていいかわからないみたいじゃん? 気付いてないと思うけど、あむちと一緒にいるときのイクトって普段と違うよ。それだけ、あむちに惚れ込んでるってことなんだと思うけど」
にやにやしながらややは付け足すが、亜夢の耳には届いていなかった。
今までずっと、亜夢は幾斗にとって特別なんだと思っていた。いい意味で。でも、本当は違うのかもしれない。悪い意味で、特別だったのだ。
目の前が、真っ暗になる。ずっと募っていた想いまで、否定された気分になる。
「あ。見て、あむち」
ややが指差した方を見ると。大きなバイクに跨り、それこそ簡単にそのゲームをこなしている幾斗の姿。正直、すごく格好いい。周囲の女の子が、わざわざ立ち止まって幾斗に視線を送る。見ないでよ、と思うが、口にはできないことが悔しい。
でも幾斗にとって、亜夢は特別な存在ではないから。そんなこと、絶対に言えない。
ハイスコアを出して、バイクのゲームが終了した。バイクから降りると、近くにいた女の子たちが幾斗に近寄って行く。
むっ、とするものの、亜夢には何も言えない。幾斗に背を向けて、亜夢はパンチングマシーンの前で足を止めた。お金を入れて、グローブを手につける。
(イクトの……)
ぐ、と手に力を込める。
(馬鹿ーっ!!)
すごい音をさせて、亜夢は力の限りに殴った。はぁ、と肩で息をするように息を吐いて、グローブを外す。
「……ぃた」
今の衝撃で、手首を傷めたらしい。動かすと、微妙に痛い。
一体、何をやっているのだろう。自分で自分が、馬鹿みたいに思えてくる。
「何やってんだ、馬鹿」
後ろから、ぽん、と頭の上に何かを置かれて、亜夢はそれを手に取った。縫いぐるみ、である。
「景品。やるよ」
「……ありがと」
こんなに優しくしてくれるのに。自分は、特別ではない。きゅ、と唇を結んで、亜夢はプリクラ機の中に姿を消した。きっと今、ひどい表情をしている。こんな表情、見られたくない。
「泣いてる?」
「……」
亜夢について来た幾斗が、そっと亜夢の様子を伺うように顔を覗かせた。
ふい、と顔を背けて、亜夢はプリクラ機から出ようとするが、幾斗に腕を捕まれた。
「どうした。言えよ?」
「何でもないったら」
幾斗の腕を振り払い、亜夢はそれでもプリクラ機から出る。嫉妬に狂った女ほど、醜いものはない。ふぅ、と息を吐いて、幾斗はそれでも亜夢のあとについて行く。
「やや、帰ろ」
「えぇ? どうしちゃったの、あむち?」
ややの腕を掴んで、無理に亜夢はややを引っ張る。
「帰るの?」
そんな亜夢とややの前に、明らかに軽そうな二人組の男が立ちはだかった。
「あれ? てか、泣いてない?」
男の一人が亜夢の涙に気付き、顔を覗き込んでくる。慌てて顔を背けたが、いきなり肩を抱かれた。
「寂しいんだったら、俺たちが相手するよ?」
「……結構です」
亜夢が言い終わるより先に、男の手が亜夢の肩から退かされた。そうして別の男の手が、亜夢の肩に乗る。
「これは俺のだから。……散れよ」
背後から響く、幾斗の低い声。どきん、と胸がときめくのがわかる。
こういう風に優しくされるから、変な期待をしてしまうのに。
幾斗は亜夢の肩を抱いたまま、先ほどのプリクラ機の中に入って行った。そしてカーテンが完全に閉まったのを確認する前に、亜夢の唇を自分のそれで塞ぐ。
「……っ」
いきなりのキスに、亜夢は呼吸の仕方を忘れてしまう。苦しいのに、声を出せない。
幾斗の唇が離れて、はぁ、と亜夢は項垂れるように息を吐いた。
「……何、今の?」
鋭い視線を、幾斗に送る。
「何って?」
「だから。何したのよ、今っ」
目尻に涙が溜まるのがわかる。特別じゃないなら、最初から優しくなんかしてほしくない。期待するだけ、自分が馬鹿みたいになるから。惨めに、なるから。
「いつもしてるだろ」
ふぅ、と呆れたように息を出し、桃色の髪に触れて、そっと額にキスをする。
「だからっ。しないでよ、そういうこと! 特別じゃないなら、そういうことはしないで!!」
吐き出した言葉と一緒に、涙が出て来た。幾斗の特別な存在でいたかったのに。苦手なんて、思われていたなんて。
確かに、幾斗から直接聞いた言葉ではないが、ややが言うのであれば、きっと周囲からはそう見えていた、ということなのだろう。亜夢だけが、気付けなかった。
「……特別だから、するんだろ?」
亜夢の言葉に、幾斗は微笑んで答える。え、と驚いて幾斗を見上げれば、幾斗は亜夢の頬に唇を落とした。
「特別だから、抱き締めたいし、キスしたいって思う」
言いながら、幾斗は亜夢を優しく抱き締めた。
(……特別?)
そんな、まさか。ややは、そうは言わなかった。幾斗が苦手なのは亜夢だけだ、とはっきりそう言った。
幾斗はポケットを探り、小銭を見つけてプリクラ機に投入する。
「俺、知らないから。亜夢、やって」
「え? う、うん」
幾斗に促されるように、亜夢はディスプレイの前に連れて行かれる。そうして色々設定をして、カメラが動いた。一歩下がって、幾斗は亜夢を抱き締める。
「ち、ちょっと。今から、カメラ……」
「誰も見てない」
「ん……っ」
振り向いた亜夢の唇を、幾斗が塞ぐ。瞬間、パシャ、とフラッシュがたかれた。
「ちょ、今……」
「気にすんなよ」
離れる亜夢をいとも簡単に捕まえて、幾斗は尚も口付ける。亜夢の耳元に手を当てたり、腰を引き寄せたり。抱き締め方を変えたり、鼻にキスをしたり、額にキスをしたり。次第に、亜夢にも笑みが零れ出した。
「もぅ、くすぐったいよ」
身を捩りながら、それでも嬉しそうに亜夢は幾斗を見つめる。微笑んで、幾斗がそんな亜夢の唇にキスを落としたところで、撮影が終了した。
「あ。外から出て来るから、外で待たなきゃ……」
「もう少し」
慌ててプリクラ機から出ようとした亜夢を引き寄せて、幾斗は深く口付ける。甘くて、溶けてしまいそうなほどのキスをもらって、亜夢は、自分が特別じゃなくてもいいかもしれない、と思ってしまった。この腕の中にいられるのなら、そんなことは気にならない。苦手だとしても、関係ない。
「いいプリクラ出て来たよ、二人とも??」
印刷されたプリクラを手に、ややが嬉しそうにプリクラ機の中にいる亜夢と幾斗を見遣る。
「や、やや!? 見ちゃだめっ」
「もう見ちゃったもーん♪」
いしし、と白い歯を見せて笑うややを、亜夢が追いかける。あんなプリクラ、とても人に見せられるものではない。
「ラブラブだねぇ?♪ ほい、イクト」
ややは、にやにやしながら幾斗にプリクラを手渡す。6種類の写真が、全部違う角度でキスをしている画像だった。嬉しくて、思わず顔が綻ぶ。
そのプリクラを取り返そうと、亜夢が幾斗の手の中にあるプリクラ目がけて幾斗に飛び込んできた。
「み、見ないでよ」
幾斗の胸の中にすっぽり納まって、亜夢は懇願する。可愛くて、仕方がない。
「つーか、特別とか特別じゃないとか。さっきのあれ、何?」
ふと亜夢の先ほどの言葉を思い出して、幾斗は亜夢に問う。
「え? あ、あぁ……」
顔を沈めて、亜夢は戸惑いながらも口を開く。
「ややに、イクトの苦手なものは、あたしだけだって言われて……」
しゅん、と落ち込んだ様子の亜夢の額に、幾斗は人目も憚らずにキスを贈る。
「そうだな。俺は、あむには勝てないから」
「……え?」
言葉の意味が、理解できない。幾斗が、亜夢に勝てなかったことは、今まで一度もないのに。亜夢が勝てないのは、いつものことなのだが。その逆は、考えられない。
「あむが可愛くて可愛くて。突き放しても、結局はやっぱり俺の腕の中に留めておきたいから。きっと一生、俺はあむには勝てない」
ああ、そういうことか。幾斗の言っていることが、やっと理解できた気がする。
それはつまり。いい意味で特別だから、ということだろう。
いつも、誰に対しても優位に立っている幾斗なのに、亜夢の前だと、100%の力を発揮できなくて。亜夢の瞳からは優位に立っているように見えても、本当は全然そうではなくて。いつだって、亜夢にだけは勝てないのだ。
「ね。縫いぐるみ、獲ってよ」
憑き物が落ちたようにすっきりとした顔つきで、亜夢は幾斗を見つめる。
「どれが欲しいんだよ?」
幾斗も負けじと、優しい笑みを見せる。
どんなことでも、そつなくこなす幾斗。でも亜夢に対してだけは、そうは行かない。その理由は、すごく簡単で。
手を繋いで、亜夢と幾斗はUFOキャッチャーのところへ歩いて行く。お互いを見つめ合う姿は、傍から見ても微笑ましい。
「ややの存在、すっかり忘れてくれちゃって……」
はぁ、とため息を漏らし、ややは二人を見る。
「ややも、特別な人を見つけようっと」
うーん、と背伸びをして、ややはそっとゲームセンターをあとにした。
今はまだ、出会っていないけれど。いつかきっと巡り合う、運命の人に早く会いたい、と思うややであった。
しゅごキャラ!/苦手=特別■END