@love.com
7. 狼の自覚(最終話)
3
「ちょっと、大狼さんっ。下ろしてください!」
「うるさい」
乱暴にベッドに投げ捨てられ、千真は文句を言おうと顔を上げる。一瞬のうちに駿介の影が重なり、唇を塞がれた。
「……っ、やだ!」
「黙れ」
顔を背けるが、顎を掴まれ、無理矢理キスをされる。
舌が入ってきたのに驚いて歯を立てれば、ようやく、唇を離された。
「なにしやがる」
「それは、こっちの台詞ですっ。私、大狼さんがなに考えてるのか、わかりません!」
「駿介だ」
「んっ」
また唇を押しつけられ、鋭い目で睨まれる。
「なんでまた苗字に戻ってやがる。名前で呼べ」
「だって、それは、大狼さんが……」
言えば、また口を塞がれた。じわり、涙が滲んで、こぼれるのは一瞬だった。
「ひどい。好きじゃないくせに、どうして、こんなこと……」
「好きじゃねーなら、こんなことするかよ」
「だって、好きじゃないって言ってたじゃないですか!」
「言わなくても判れよ」
「言われなきゃ、判りませんよっ」
押し問答の末、勝ったのはどっちだったのか判らない。
駿介のキスが優しいそれに変わったことで、そんなことはどうでもよくなってしまった千真の、負けかもしれない。
強制的に上を向かされるように顎を掴んでいた手が、柔らかな手つきで千真の髪を撫でるのが気持ちいい。
窺うように入ってきた舌を、今度は少しだけ弱めに噛めば、離れた駿介が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「言われなくちゃ、判りません」
「……悪かった」
啄むように触れるだけのキスをされ、頭を抱えるように抱き締められたのに甘えて、千真は駿介の胸に頭を預けた。
「私のこと、どう思ってるんですか?」
「好きだとかそういうのは、正直よくわからねー。だけどおまえが、俺以外の誰かになにかをされるのは、すげー腹立つ。それが好きだっていうことなら、きっとそうなんだと思う」
「……」
なんだそれ。返してほしかった答えにはほど遠い答えが返ってきて、逆に呆ける。でも逆に、それが駿介らしいと言えば駿介らしくて、ふにゃ、と顔を綻ばせた。
「もー、なんですか、それ。ずるい」
「嘘は吐きたくないからな」
キスをされたまま押し倒され、背中が落ちる。
駿介がシャツを脱ぐのにドキッとして、思わず自分の着ているシャツの裾を掴んだ。
「そういや、おまえ、あのアパートは解約したほうがいいぞ」
「え? どうしてですか?」
ひんやりとした駿介の手が肌に触れ、少しだけ身じろぐ。駿介は一度口を開こうとしてやめたが、千真が首を傾げたので、観念したように言った。
「壁の穴が増えてた。ありゃ、常習だな」
「……本当ですか?」
ゾッとして、血の気がなくなる。
今まで気にしたことさえなかったが、そう言われると、途端に普段からやたらと視線を感じていたかもしれないと思えてくるから怖い。
それにそんなことを考え出したら、もうあの部屋には帰れない。
「見せるなら、俺だけにしとけ」
ちゅ、と触れる唇が、ほんの少しだけヤキモチを妬いているように感じた。
「見られたく、ないですか?」
「当たり前だ」
ああ、もう。そんなこと、どうして軽々と言ってくれるのだろう。
『好き』なんて言葉が些細なことのように思えてくる。確かに駿介は、言葉は少なかったかもしれないが、ずっと態度で示してくれていた。
あの意地悪も、愛情の裏返しだと思えば、なんだかかわいく思えてきて。
「駿介さん、私」
すんなりと、言葉が溢れてきた。
「駿介さんが、好きです」
「……」
一瞬、身体を固めたあと、駿介はふっと表情を緩めて、素早く口づけた。
「俺の人生、おまえにくれてやる。だからおまえの人生も、俺に預けろ」
「……はい」
もう一度、今度は決意のようなキスが落ちてくる。
駿介さん、それはプロポーズみたいですよ、と言うのはやめた。
ついこの間まで、旭に好意を寄せていたはずだったのに、おかしなものだと思う。駿介なんて、どちらかと言えば苦手な分類の人だったのに。
触れる手が温かいと気づいたのは、いつだっただろう。思えば最初から、羞恥はあったけれど、恐怖なんてものはなかった気がする。
服を脱がされそうになって、慌てて拒否すれば、今さら? と笑われる。今さらだろうとなんだろうと、恥ずかしいものは恥ずかしいし、それ以前に傷だらけの身体を見られるのは抵抗がある。
でも肌と肌で触れ合いたい気持ちも判るし、千真は観念して駿介の行動に身を委ねた。
◇ ◇ ◇
「爪?」
「そう。最初はそれで呼び出したみたいだぜ」
オーキッドのリフレッシュルーム。千真は圭樹に買ってもらったカフェオレを飲みながら、圭樹の話を聞いていた。
千真は有給を10日ほど消化したあと、勇気を出して出社した。旭に説得されたというより、アパートのこともあってお金が必要だと現実問題に直面したからだ。
アパートはすぐに解約して、今は駿介のところにお世話になっている。けれど旭もいるし、できればお金の工面ができ次第、すぐに出ていくつもりだ。
「前日に、爪を短く切ってこいって部長から話があったのに、あのふたりだけは長い爪のまま出社してて、表向きは注意のために呼び出したんだって」
呼び出された会議室には、社長を始め各部の部長が勢揃いしていて、まぁそこでいろいろあったらしい。
「最初はぎゃんぎゃんわめいて大変だったらしいぜ。横暴だのセクハラだの」
あのふたりから、そのときの様子は安易に想像できる。決して自分たちに非はないと言って聞かなかったに違いない。
そんな状態に、鶴の一声を入れたのが風吹だったようだ。部長たちの影に隠れて部屋の隅にいた風吹は、らちが明かないと思ったのか、見てもいない光景をあたかも見ていたように口にしたらしい。瞬時に真っ青になったふたりに畳みかけるように詰め寄り、結局自白までさせたのだとか。
「……悪かったな、助けにいけなくて」
風吹の行動に感動していると、暗い謝罪の声が聞こえてきて、慌てて千真は首を横に振った。
「そんなの、針谷くんが悪いわけじゃないもん。それに女子トイレに入るとか、まず無理でしょ」
「まぁ、そこは。実を言うと、かなり悩んだんだけど」
女子トイレに踏み込んで、万が一何事もなければ、ただの変態だ。そこまでのリスクを冒す度胸は、残念ながら圭樹にはなかった。
そのとき、館内放送が流れてきた。
『経理部、賀永千真。至急、社長室まで来るように』
「……」
「……」
社長室なんて、今まで微塵も縁のなかった場所である。
間違いなく、今回のことだよな、と肩を落とした千真に、がんばれよ、と圭樹はエールを送ってくれた。
◇ ◇ ◇
「賀永です。失礼します」
社長室の扉を開けて、思わず1歩後退り、小さく深呼吸してから中に入る。
正面には社長がいて、そこから道を作るように駿介と旭、それから国浦と河野がいた。
「なかなか面と向かって話す機会はないよね。今回呼び出したのは、賀永さんへの内示です」
言って笑う社長は、旭に激似だった。公表していないので知っている人は少ないが、社長である新は、旭の実兄である。
内示? と首を傾げた千真は、次の瞬間には、鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした。
「賀永千真、2月28日をもって経理部から副社長付き秘書に任命します」
「……はい?」
今のは、果たして日本語だったのだろうか。
しんと静まり返る社長室の中、千真の頭の中で疑問符がぴょんぴょん跳ねる音がする。
そもそも、オーキッドに副社長なんていなかったはずだ。
呆ける千真に、賀永さん、と旭が小さく声をかけてくれる。
「駿介が、副社長に就任することになったんだ。つまり、駿介の専属秘書ってこと」
「……え?」
そんなこと、説明されても判らない。
だって、副社長って、誰が? 秘書? つまり、そういうこと?
「……えええぇぇぇ!?」
千真の困惑した声が、社長室に響いた。
千真を守るためとはいえ、駿介が提案したこの件について、社長以下に笑われたのは、言うまでもない。
@love.com■END